昭和の語り部への追悼2021年01月15日 18:52

文藝春秋社の元編集長という肩書きより、ノンフィクション作家の方でずっと馴染みのある半藤一利氏が亡くなった。近現代史に関して数多くの対談本を一緒に出した保阪正康氏が「師であり、リーダーだった」と東京新聞のインタビューに答えている。「その精神を受け継ぎ次の世代に伝えることが、供養になるのだろう」という言葉通り、彼は、BS-TBSで放映している「関口宏のもう一度!近現代史」で解説を担っている。そして、もう一人、その精神を受け継いでいる同世代の人がいる。半藤氏の著作の熱心な読者で、自ら望んで対談本も出したスタジオ・ジブリの宮崎駿監督である。
歴史修正主義者から蛇蝎のごとく嫌われる「戦後民主主義」の最良の部分を吸収した世代は、先の戦争を顧みて自省する先輩たちに対する強いリスペクトがあった。宮崎監督が出している数少ない対談本の相手に、堀田善衛・司馬遼太郎、半藤一利がいる。いずれも、戦地に赴いたり、空襲から逃げ回った経験から、先の戦争への強い忌避がある。
その対談本『腰ぬけ愛国談義』の「おわりに」へ半藤氏はこう書いた。「いまの日本はまさに「山雨来らんと欲して風楼に満つ」の相貌を呈しています。前途暗澹にして不安。(中略)とにかく目先の利益が大事であって、組織そのものの永続は目的ではない。自然資源や医療や教育や自活の方策など、国民再生産の重要課題などは後回しで、その日暮しで、国民の眼くらましとなる利益のあがる政策最優先です」
“愛国”というより、憂えているイメージの強い「おわりに」への答えは、映画の元になった小説の題辞「風立ちぬ、いざ生きめやも」の一言中にあり、それは本文にもしっかりと残されたと語っている。本書が出たのは2013年8月。映画封切りの翌月なので、それに関する話題も多いが、原作の背景となる時代について硬軟様々な話題を採り上げる中に、過酷な時代に向き合って生きた人々の生きようが垣間見える。もしかしたら、それが一番伝えたかったことなのかもしれない。