忠臣蔵という尽きせぬ古典2019年12月18日 19:03

12月14日。江戸は元禄の頃、主君浅野内匠頭の仇(かたき)を討つために浪士47名が本所松坂町の吉良上野介の邸に討ち入った日である。もちろん旧暦のことだから、実際は1月末のもっと寒い時期にあたるが、師走の名物にもなった「義士祭」も行われ、この日の前後はいわゆる『忠臣蔵』に関連したイベントが数多く開かれる。先月「能で読む」の関連で受講した豊島区中央図書館の文学講座「読んで見る!映像・舞台原作の世界」も、この日、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をテーマに第2回を開くと聞いたので予約して聴きに行った。
 講師は前回同様、早稲田大学演劇博物館の後藤隆基氏。“パワポ”を印刷した14ページの配付資料を中心に「忠臣蔵」の世界を解説した。まず最初に「忠臣蔵」を題材にした映像作品の紹介があり、なんと明治40年に『忠臣蔵五段目』が作られていた。落語『中村仲蔵』でも有名な斧定九郎の場面である。その後、最も新しい現在上映中の『決算!忠臣蔵』まで数え切れないほど多くの映像作品が作られている。“決算”とはいかにも時代を象徴するネーミングではあるが、事程左様(ことほどさよう)に時代の要請に応えることができる物語もそうはないだろう。
 討ち入り事件から数年後には、“それ”と匂わせる演目が歌舞伎から生まれ、浄瑠璃にも拡がって、定番となった人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』に結実する。初演は4ヶ月近いロングランとなり、その年の暮れには早くも歌舞伎に採り上げられた。人形の様式的な身振りは歌舞伎の演出にも影響を与えたらしい。もちろん、内容は赤穂事件に沿ったものではなく、南北朝時代の太平記に材を取った話に移し替えられてはいる。講義では「忠臣蔵」の変奏ともいえる『東海道四谷怪談』から、真山青果の近代劇、海外での反響や翻案、バレエ・オペラ・ハリウッド映画まで、あらゆる文藝のジャンルに展開された様子が解説された。
 繰り返し暮れの定番として様々に採り上げられるこの物語には、それぞれの時代の大衆が消費した共同幻想のようなものが、ぶあつく覆っているように見える。たかだか300年前ではあるが、もう既に古典文学と言っても良いのかも知れない。

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