あやうい“心地よさ”2019年12月30日 19:15

何らかの催しを観に、あるいは聴きに出かける時、開場前の時間つぶしのつもりで、つい近くにある本屋を“マップ”で検索することが多くなった。それは自宅の最寄り駅の近くにある書店に読みたい本が置いてないこと、そして何より、そこに愚劣な“ヘイト”や歴史を“改竄”するたぐいの本が堂々と置かれてあって、その店から本を買いたくなくなったこととつながる。
 そんな折、「本屋Bar」という“本を語る場”がきっかけで隣町の本屋を知ることとなった。妙蓮寺にある「石堂書店」である。70年近く前から地域で営業してきたこの書店が、これから先、本屋としてどのように営んでいくのかについて真摯に悩んで始まったクラウドファンディングにも参加して、このところ時々足を運んでいる。
 その本屋の生まれ変わりに大きく関わっている「三輪舎」という個人出版社の代表が、本屋の顔とも言える棚揃え、つまり石堂書店における選書に関わり始めた。すると、どうだろう。行く度に、並べられた“本たち”の顔が少しずつ変わってくる。たとえば鼻筋が通ってきた。ところどころに読み応えがありそうな本が並んでいる。次に平置きの模様が違って見える。顔立ちが穏やかになり、品の良い笑顔と賢そうな目がこちらを見返すようになった。
 少し硬そう、いや、難しそうに見えるところも時にはあるが、あの、未知への関心が呼び覚まされるような、幸福感に包まれてくる。このあたりで、これは少しまずいとようやく気が付く。魅せられて買って帰らなければという軽い切迫感と財布の中身の綱引きが始まるからだ。
 今まで、東横沿線にもそれなりの書店はあったが、こちらの微妙な好みを刺激することは少なかった。あるいは、神保町の東京堂や青山ブックセンターのように大きな書店でなくても、国立や西荻窪など文化の香り溢れる街にある本屋が近くにあったらと思ったことは多い。しかし、いざ身近にそういう場所ができてみると、今度は迂闊に足を踏み入れてはいけないと躊躇する。ひとつには、その選書の“センス”に心地よさを感じるからでもある。事実、ここ2回行って買い求めた4冊のうち、3冊はその成果だと本人から直接聞いた。今のところ、歩いて行くには少し遠いのが、何よりの安心材料ではある。