信頼できるコトバを探す留学生2019年12月18日 19:02

野暮用が多くてFacebookメモが追いつかない。とりあえず直近の話から片付けていく。
 昨日、保土ケ谷区常盤台にある横浜国大に出かけて、海外の大学と多くの交換プログラムを持つ“横国”ならではの催し「YNU日本語スピーチ大会」を聴講した。実は1000人を超える留学生のうち過半数は大学院生だが、この大会の参加者はほとんどが交換留学している学部生である。主催した実行委員会は司会・進行から受付・撮影まで日本人と外国人が半々ぐらいだろうか。大学外からの審査員も混じって審査も表彰も行うものだった。
 発表者は初中級と中上級の二部に分かれたが、これはおそらく学習期間の差によるものらしい。語学の上達は、各人の努力はもちろんのこと、センスや性格・生活環境などでも随分と違うので、初中級でもなめらかに話す学生はいたし、中上級でも助詞が抜けることがあった。アラビア語やスペイン語などを母語とする東アジア圏以外の学生の発音も意外と聴き取りやすい。総じて女性の方が上手に聞こえるのは、やはり日常的な会話量に差があるからだろうか。
 副学長が冒頭の挨拶で、一般の日本人学生が何を考え伝えようとしているのか、その態度を疑問視していることと比較して聴いてみるのが楽しみだと言っていたが、留学生のスピーチの前に彼らの練習を支援した日本人サポーターたちの紹介コメントがそれをちょっと裏付けるようなところがあって少し驚いた。テーマは「忘れられない瞬間」というもので、各人各様の体験を語ってくれたが、その中で印象深かったのは、それなりに長い時間をかけ、あるいはかかった後に訪れた瞬間であればあるほど、その後の自身に何か重いものを残しているように見えたことだ。
 質疑応答で、学んだ日本語をこれからどのように使うのかを尋ねたら、多くの留学生が母国との架橋にと考えているようだった。懇親会の席上、一向に上達しない韓国語で話しかけたりもしながら、為政者やテレビが使う“劣化”した日本語と彼らが使う日本語をしばし比べて考えた。嘘に嘘を重ねた言葉を厚顔無恥に報じるマスコミの“語り口”はいかに聴く者を信じていないかを表している。それに対し、初めて顔を合わす日本人に対する彼らの日本語はまだ十分な表現はできないものの、相手に対する確かな“信頼”が感じられた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2019/12/18/9197315/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。