世代が繋ぐ伝統の芸2022年12月19日 23:52

久しぶりに目黒へ出かけました。一昨年、まだコロナ禍の影も全く無かった頃、明学大で開かれたセミナーに参加して以来のことです。今回訪ねたのは喜多能楽堂。こちらの方は4年ぶりで、「やるまい会」と題する狂言の公演を観てきました。和泉流狂言方の野村又三郎師が主催するこの公演は年一回の特別公演。披露された三題それぞれに実の親子が共演するということで「親の心・子の思い」というテーマになっています。
 最初が『空腹(そらはら)』。この9月に復曲したばかりの演目で、一言で云えば“Air切腹”です。年の瀬の金欠で首が回らなくなっている“何某”が、“何某”宅へ無心(むしん)をしに訪ねます。落語に出てきそうな登場人物ですが、舞台では互いに芸名(又三郎と信郞“殿”)で呼び合っていました。一旦は物別れしたものの、他に頼るところもなく再度の無心に一計を案じます。「金子は無用だが座敷を借りたい」と持ちかけ、部屋に入ったところで腹を切るぞと騒ぎ立てる趣向です。現実には保護者でもある父親が、舞台上で東京藝大4年の息子に頭を下げるという逆様(さかさま)も面白く、大変愉快な舞台でした。
 次は『舟渡聟(ふなわたしむこ)』。都近くに住む新婚の聟が、近江にある新婦の実家を初めて訪ねるため、琵琶湖の渡し船に乗るところから始まります。戻り船の渡守(わたしもり)は、客となった聟が持つ手土産の酒が飲みたくてしようがない。一口で良いから飲ませろとしつこく迫ります。あげくは飲ませなければ、船を止めるの返すのと言い出す始末。やむおえず飲ませて対岸に着きますが、軽くなった樽を土産に訪れた実家の舅が“誰あろう”という話です。舟に揺られながらピッタリと息が合った遣り取りが素晴らしく、舞台から湖の風が流れてきました。さすがに実の親子(奥津健太郎さんとこの春藝大に入学した健一郎さん)ならではです。狂言としては珍しく、最後にシテ・アドが三番叟のように足を踏み鳴らしての双舞となりました。予祝の表現なのでしょうか。
 最後は『禰宜山伏』。とある街道の茶屋が舞台です。演目では“禰宜”ですが、まず登場するのは伊勢神宮の“御師(おし)”。今ならさしずめツアーコンダクターです。各地の参詣者に参拝の案内をするために全国を回る途中、茶屋に足を止めます。出されたお茶をほめる所はいかにも如才(じょさい)がありません。そこに現れたのが、熊野での修行を終え出羽(でわ)へ帰る山伏。霊験を得たのか何かにつけ威張り散らすところが御師と対照的です。出された茶が熱いぬるいから始まり、しまいには御師と信仰の言い争いになります。埒(らち)が明かないのを見てとった茶屋の主人が、お宝の大黒様を持ち出して、祈禱で顔を向かせた方を勝ちとしたらと発案します。シテ(山伏)役の野口隆行さんの娘さんが小さな大黒様を熱演し会場を沸かせました。
 三題三様でありながら、狂言が持つ批評性が存分に活かされた演目で、権威を笑うその姿勢は現代にも深く通じると感じる見事な公演でした。

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