文字に潜む孤独と“悪意”のなさ2022年02月20日 21:49

昨日放送されたETV特集「ある子ども」を録画で観ました。SNSを通じて性犯罪の被害にあう子どもたちが、一年で1800人にものぼるといいます。番組ではSNSで多くのフォロワーを持つ若者自身を主役に選んで、事件に巻き込まれる様を再現ドラマに仕立てているのですが、その制作風景自体をドキュメンタリーとする面白い試みは、この種の犯罪の不思議な一面を見事に描いていました。
 特に、この問題に取り組んでいるNPOスタッフの言葉が印象に残りました。それは、被害に合う子供たちへSNSで語りかける加害者の一部には、半分本気で被害者の気持ちに寄り添っているように見える場合があるというものです。そのことと性的な接触を持つことに齟齬が感じられないような事例もあるそうです。文字を使った機敏なコミュニケーションの中にひそむ“悪意”のなさが気に掛かります。
 そのことを考えていた時に、ふとアニメーションの“ある”表現を思い出しました。それは、ほとんどのアニメーション作品に共通の演出なのですが、登場人物が何らかの強い感情を抱いたときに出す“うめき”のような声です。今の若い人に共通しているのかどうかはわかりませんが、人間の一般的なコミュニケーションであれば、そこは“無言”であるようなところで、息を呑みこむような不思議な表現が現れます。それは、何かに応答せずにはいられない孤独な心の表出のように見えてならないのです。
 逆説的にいうと、私がジブリ制作のアニメーションに“安心感”を抱くことが多いのは、そうした表現が出てこないからではないかと考えています。番組は24日深夜に再放送されます。