裁判で終わらない差別2020年03月21日 09:15

この数日、長い物語を追いかけながらも、一休みするたびに時々刻々の話題に触れることがあった。
 これもその一つ。過日、相模原「やまゆり園」殺傷事件の地裁判決が出た。量刑は大方の予想通り死刑だった。事前の取材報告を期待していたTBS「報道特集」の取り組みは“会見劇”で飛んでしまったが、日テレのNNNドキュメント'20でも前日深夜の放送で取り上げていた。北日本放送の制作で、富山市に住む八木勝自さんという重度障害者が植松被告と手紙を交換し接見までしていたという。八木さんと植松との30分の短い対話はお互いに激情することもなく、しかし、その考えは平行線をたどったまま終わったようだ。
 裁判の最終陳述で、植松はこう主張したという。『この裁判の 本当の争点は 自分が意思疎通とれないことを 考えることだ』。番組はこの主張へのネット上での共感の声を紹介した後、八木さんの言葉を続けている。
 《でも》『このままで終わっていいのかなと思う。それは植松(被告)が死刑になっても《何回も言うけれど》この事件は終わらないし、かえって死刑になることで(差別を)助長するような社会的雰囲気があって、それが怖くて』 (注:『 』内は字幕、《 》内は字幕には出なかった言葉)
 この言葉を受けて、ナレーションは「人間の価値ってなんだ。八木さんの問いかけは私たちにも向けられています」と結んだが、《でも》そして《何回も言うけれど》という字幕にならなかった二つの声に重なって、八木さんの“深刻”さがまじまじと迫ってくるように感じられた。