生きづらさの正体は2019年09月15日 17:26

毎日新聞出版から発行された『生きづらさについて考える』(内田樹著)の著者講演会が竹橋のパレスサイドビルで開かれた。退職してまもなく6年になるが、企業人としての制約から解き放されたにも関わらず、様々な場面で“生きづらさ”を感じている思いがあったので、事前予約して聴講した。このところ少し難聴気味で聴き間違いもあるし、私自身の個人的解釈なども含めているが、ここ最近で一番印象深く残ったので、以下に長文のメモを記す。
 まず最初は、前日あったYoutuber“えらてん”さんとの対談のトピックから。民放テレビ番組の質的劣化が広告ブランドの低落につながりメディアとしての消滅危機を迎えているのではないか。また、Youtubeを始めとするネットメディアによる「NHKから国民を守る党」の伸長も語られた。シンプルな“合理性”を元に組織の無いネットワークグループ(同志的クラスタ)が実質的に形成されていて、一定の支持を広げている様子は看過できない。アルゴリズムによる誘導は自分で選んでいるという妄想、すなわち自己洗脳とも呼べる。自分が作った“物語”を捨てられず、繰り返すことそのものにしか価値を見いだせくなる。
 陰謀史観はフランス革命後にロンドンのサロンで生まれた。社会構造的に複雑な条件が重なって予測し得ない事が起きたとき、人々は、日常から目をそむけて、根拠が示せないまま、最終的な結末による受益者集団を陰謀のオーサーたちだと信じる。そうして、ヨーロッパの反ユダヤ主義は始まった。西洋に生まれた陰謀史観は、その背後に共通する摂理があると信じることで一神教や自然科学と親和性が高い。近代化の過程で西洋に学び、いつのまにか伏流していた態度が、ユダヤ人のいないこの国で、自前の陰謀史観を生むことになるかもしれない。
 日本の文化の主流は外来と土着が離合しながら生まれた。本来の固有文化だけではあまり拡がらない。二つの文化が融合(アマルガム)して化学変化を起こすことで土着を取り込みながら新しい開放的なものができあがる。その一つが神仏習合。自然信仰から始まる神道に体系化を促した仏教伝来以来、6世紀から19世紀半ばまでこの国の“宗教”として深化してきた。しかし、明治以降の国家神道によって外来の客観性が失われ、廃仏毀釈という多様性を破壊する大きな社会的事件を通じて道は塞がれた。国家が心を管理しようとしたツケが人心の荒廃と敗戦につながった。
 今、陰謀史観に対抗できるのは“まっとうな宗教”、つまり人間的な欲望で駆動されるのではなく、超越したものとの対話を回復すること。それが神仏習合ではないか。神仏分離より一足先に行われたのは、廻国聖や虚無僧、梓巫女や山伏など、旅する宗教者や遊行の者への禁圧だった。つまり、民衆の生活に入って行って国家統制から外れるものを根絶やしにしようとした。その中で唯一生き残ったのが修験道であり、彼らは祝詞と般若心経を唱えながら統制とたたかった。そして今、ところどころでよみがえりつつあるその担い手に女の人が多い。具体的には「滝行」という生活と地続きの身体感覚による宗教体験にもつながっている。
 話は、修験道の先達から、御師と伊勢講の檀家に移り、神社を国家統制したことで宗教体験としての伊勢参りという“観光”(光を観る)が急速に寂れていった経緯が紹介された。庶民の娯楽でもあり、統制を離れて移動する自由な宗教活動でもある“参り”がいつのまにか忘れ去られ、国家神道によって堕落した宗教体験は靖国神社に象徴されるフィクションとなった。その結果、日本人は霊的な習熟の機会を失った。そして、「嫌韓」幼児性の今につながる。
 それは他者への暴力性として現れる。政治的な理由や金儲けのためではない。その幼児性・暴力性を抑えることができない“いじめ”と同じである。何をやっても処罰されなければ普通の市民がいくらでも残忍になる。「嫌韓」は一時的かもしれない。だが、その本性は繰り返し出てくる。「金が欲しいから」という言い訳が許される酷い国に、もう一度市民的成熟をもたらす日常の中の小さくて「まっとうな宗教体験」が必要だろう。

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