日韓を架橋する映画館2019年09月10日 17:25

一昨日の話には続きがある。今年に入ってからシネマジャック&ベティが韓国仁川(インチョン)にあるミリム劇場というミニシアターと連携し、それぞれの関係者が選んだ作品を交互に上映する共同企画を進めていて、6月に仁川、そして、この9月に横浜で実施することになっていた。一昨日は、その当日でもあったのだ。
 震災作文のイベントが終了後、2階のスクリーン“ベティ”で映画関係者によるフォーラムが開かれミリム劇場の紹介があった。ミニシアターとして運営そして閉館とシネマJ&Bと良く似た変遷の後、再開後は“追憶劇場”という名称で主に年配客を対象に低価格な上映営業を行っていたが、5年前からNPOによる運営に移行し、韓国初の公益社会企業への認定や、メセナ支援なども受けて、最近では街の文化装置として様々なプログラムを企画・展開しているという。仁川は中華街の坂を上って自由公園から港に近い地区を散策したことがあるが、ミリム劇場はこの次韓国へ行く時には必ず寄ってみたい場所の一つになった。
 フォーラムの後、日本での初上映に選ばれた作品の一つ『妓生 花の告白』という韓国のドキュメンタリー映画を観る。私の世代の日本人であれば、“妓生”という言葉には引き裂かれるような二つのイメージを持つことだろう。1970年代の朴政権下での「キーセン観光」と、2000年代以降の韓国歴史ドラマに出てくる“芸妓”である。朝鮮王朝末期に階層化した“妓生”は、近代化の過程で芸妓と娼妓に分かれていったため、伝統を継承した芸能者であっても、その出自を隠して生きなければならない時代が長く続いた。日本による植民地下にあって芸妓は主に検番(卷番:권번)によって伝えられたが、その記憶を残す人はほとんどいない。映画はその数少ない当事者への取材や、民衆舞踊の精髄が現在どのように伝えられているかを中心に描く。
 実は6年前、お茶の水大学で受講した公開講座「韓国学」の中に、舞踊研究者による「韓国の伝統芸能」の講義があって、まさしく妓生の芸能が卷番によって伝えられた経緯を詳しく聴いたことがある。その時提出した小レポートには、晋州の素朴な舞があたかも申潤福の絵を再現したように見えると書いたが、今回の主人公クムドさんが請われて舞台に上がり、あたかも告白するように身体が自然に踊り出す姿はとても感動的だった。

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