消費を問う2019年09月02日 17:21

すっかり固くなった頭を、久しぶりにフル回転しなければ先に進めないような難しい本を読了した。『生きるための経済学』(安富歩著:NHKブックス)と云って、10年前に出たものである。書名だけだと、まるで街の本屋の実用書の棚にずらりと並んでいる自己実現のためのハウツー本のようにさえ思えるが、中身はすこぶる重い。そもそも経済学とは何かがよくわからないので、山下和美の『天才柳沢教授の生活』ぐらいしか手に取ったことはないのだが、過日このFacebookにリンクした「れいわ新選組」参議院選挙候補者の感想が、誰にも関心を呼び起こすことがなかったことで、逆に大いなる興味を持つきっかけになった。
 この本の執筆当時は普通の男装の写真が奥付の著者近影に使われているが、その後、著者安富歩氏は異性装の人として知られるようになる。以前、たまたま読んだ2015年の『満州暴走 隠された構造』(角川新書)の帯には女装の写真がしっかりと使われているし、リンクした記事では一目瞭然である。しかし、その見た目の異様さも含め、山本太郎は安富氏の著作や記事を大いに参考にしていると語ったそうだ。それが、「無縁の原理」で集まった政治団体への参加呼びかけにつながった。
 さて、先述した著書であるが、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』から多くの示唆を読み取って「選択の自由」と「創発」という二つの“道”のありようを指し示している。簡単にまとめることなどできないが、ひとつだけ私の経験から関係すると思われることを書いておく。このFacebookでも前に触れたことがあるかもしれないが、一番最初にスマートフォンを購入した時、ハンドストラップが取りつけられるケースを探しに家電量販店を訪ねたことがある。その時の驚きを忘れることはできない。フロアの一角を占める背の高い棚一面に、様々な素材を使ったきらびやかなケースが数え切れないほど並べてあるのにもかかわらず、そこに私が探している製品は一つも置いてなかった。未だに経済学は良くわからないが、その時の強い印象を忘れることができず、以来「消費」とは一体なんなのだろうかという“問い”が今も続いている。

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