世の中は変わる、転がる石のように2018年07月07日 14:09

 昨日、留学生の日本語レッスンが延期になったので、雨の中、長者町の「横浜シネマリン」へ出かけた。横浜生まれの人間には、関内や伊勢佐木町と同じぐらい長者町という街の印象は強い。それはこの一帯が古くから映画館の集中する一角だったことと関係する。なかでも「横浜ピカデリー」という松竹系の巨大な映画館は良く覚えている。今は100人前後のミニシアターしか残っていないが、その上映ラインナップがすばらしい。今日観た「マルクス・エンゲルス」(原題「若きカール・マルクス」)など、先月まで岩波ホールにかかっていたばかりの作品だ。
 『共産党宣言』を書くに至る前の二人の若き思想家を取り上げている。本格的なマルクスの評伝映画がヨーロッパで作られたのは初めてだという。世界史の知識が無くて満足に背景も理解できないままに鑑賞したものの、それなりに面白く感じた。一つには、19世紀末の労働者像が存外想像の範囲に収まっていたことがある。産業革命以降の経営者と工場労働者が置かれた状況は、後にブルジョアやプロレタリアと称されて論じられる社会階層の様相を既に示していて、対立と妥協の中に推移していた。
 ただ明らかなことは、現状を納得していない心理が具体的な行動につながる可能性を持っている様に描かれており、それが別のこと、たとえば弱者への差別や諦念、自死など、負の感情に吸収されるように見えなかった。だからこそ、そこに“綱領”が必要だと二人は考えたに違いない。“共にある”言葉があれば、それが行動の拠り所となれば、世の中は変わると…。それは空想ではなく科学から導かれなければならないという強い信念が膨大な著作を生み出すエネルギーになっていったにちがいない。そして、それはプルードンやヴァイトリングとの対照として描かれる。
 映画の最後で、その後の歴史変革的映像を背景にボブ・ディランの「転がる石のように」が流れる。これからも変わりうるのだという監督のメッセージなのだろうか。