道々に語られた唄2017年06月19日 18:06

 過日、「語り芸パースペクティブ」の第3回を亀戸へ聴きに行った。説教祭文と瞽女(ごぜ)唄という代表的な“漂泊の語り芸”を継ぐ二つの口演だ。いずれも、その場にいることが僥倖とも言える見事なものだった。すぐに感想を書きたかったのだが、それができなかったのには理由がある。その夜、永田町で開かれた儀式が、場を作るための“ことば”や“こえ”を不当に貶めるものであったからだ。その日の口演とあの儀式のあまりに大きな対照に戸惑っていた。それがようやく落ち着いたので、こうして改めて書くことにした。
 口演はまず、瞽女唄から始まった。「盲御前(めくらごぜん)」の敬称に由来するとWikipediaにもある通り、盲目の女性が唄う芸能は“ケ”の時間を生きる人々にとって貴賤あいまいなものだったに違いない。瞽女屋敷という地域社会の中で孤立しないための共同生活を通して伝えられた“語り”は、その厳しい戒律から「演者が楽しんではいけない」という誇り高い教えも生んだ。
 津軽三味線に引き継がれる瞽女の三味線は、叩きつけるような弾き方に特徴がある。それは、“瞽”の字に示される打楽器を思わせる。古くは鼓を打ちながら語られたものだから当然といえばそれまでだが、“めしい”の読みが当てられた“瞽”の字に芸能との深いつながりを感じる。
 説経節ともつながる瞽女唄に祭文松坂と呼ばれるジャンルがあって、今回の演目はその一つ「葛の葉子別れ」。浄瑠璃や歌舞伎などでも一度は聞いたことがある「信太妻」の“狐”の話だから筋に特別な脚色は無い。しかし、淡々と、いや朗々と目を瞑りながら語る演者(萱森直子さん:晴眼者)の声を聴いていると、不思議なことに、その場が越後の民家にでもなったような雰囲気に包まれていた。60人定員の小さな座敷で聴くのが最もふさわしい芸能なのかもしれない。繰り返し出てくる同じような節回しが一定のリズムを刻みながら延々と続くようでいて、身をまかせてしまえば魅入られたように聴いてしまう、とても不思議な“語り”だった。
 後半は説教祭文。室町時代から語り継がれた説教節が義太夫・浄瑠璃の影響で江戸初期に衰退し、説教を引き継いだ山伏が語った祭文が、江戸後期になって三味線を伴い新たな芸能として寄席にかけられた。再生されたその芸能が説教祭文である。演者の渡部八太夫さんは説教浄瑠璃の家元でもあった人だが、1960年代に断絶した“説教祭文”を新たに復活させる取り組みを行っている。冒頭、手錫杖(短い錫杖)を鳴らしながら登場し、居並ぶ衆生を言祝ぐところから始まった。
 演目は「小栗判官曲馬の段」。小栗判官というと餓鬼阿弥の姿で土車に載せられ熊野へ詣でる話を仮面劇で観たことはあったが、その前段にあたる説話をほとんど知らなかった。小栗判官が、後に連れ添うことになる照手姫が仕える横山一族の計略にはまり、人食い馬の「鬼鹿毛」を馴らす役目を負わされるというものだ。口演は伝えられた正本の原文そのままではなく、作家の姜信子さんが脚色した現代の説教祭文である。
 瞽女唄同様に三味線を弾きながらの一人芸であるが、あたかも相三味線がいるごとく、自らの掛け声で調子をとる。三味線の弾き方は強くもあり弱くもあり、“語り”ともどもに硬軟取り混ぜた口演は大変面白いものであった。準主役とも言える「鬼鹿毛」の馬ぶりも笑いを誘う。語り芸の多様な表現が渾然一体となったもののように感じられた。
  今回は、二つの語り芸が示す振り幅の広さに驚かされた。次回は8月で義太夫節だが、来月、番外編としてパンソリを聴く。「かもめ組」の口演には一度行ったことがあるが、あらためて“語り芸”を意識した聴き直しをしてみるのが楽しみだ。