寄り添う心根2016年12月27日 01:35


 「叙述がすずやかで、すだれごしに上等な夏の料理をたべているような気がした」と司馬遼太郎は評したそうだ。彼同様、新聞記者を務めるかたわらに小説を書き始め、多くの時代小説を残した野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」のことである。時代劇俳優大川橋蔵主演のテレビドラマばかりが有名で、多くの日本人にとって名前は知るものの原作を手に取ったことがない作品の一つだろう。

 「やぼな十手はみせたくないが…」。ドラマの主題歌の歌詞にもその片鱗が見える主人公の造形は、自らを職人と呼んだ作家の
「勧善懲悪」とは違う精神を示している。一方、細やかな人情の機微で弱者を庇い、冤罪を晴らそうとする人道主義を描く中から、やむにやまれず罪を犯した真犯人をどこまで許すかという独自のテーマも生まれた。その特徴を十二分に描いたものとして「雪の精」という一篇がある。

 それを江戸は浅草で聴いてきた。つまり、この佳品を浪花節に仕立てた一席を浪曲の定席である木馬亭で聴いたのだ。浪曲化したのは今は亡き国友忠。曲師沢村豊子師匠が永く相三味線を務めた浪曲師である。今回それを演じたのは玉川奈々福さん。豊子師匠が怪我からのリハビリ中で、曲師は弟子の美舟さんが務めた。

 木馬亭は浅草寺の西にある奥山門を抜けた“おまいりまち”にある定員130名ほどの小さな演芸場だ。上階には大衆劇場の木馬館があって、ここで演じられている芝居の音楽や物音が、浪曲を演じている下の階まで漏れ響いてくることがある。つまり、そうした悪条件の中で演じられ、多くの浪曲師達が育った。

 演目「雪の精」は浅草の今戸を舞台にしたミステリー仕立ての大作。2時間を一人で語る。演台には原作者野村胡堂が国友忠に贈ったテーブルかけが掛かり、ちょうど1年前に亡くなった国本武春の衣装を女物に仕立て直して着る玉川奈々福さんが、満員の客席に向かい万感の思いを吐露して始まった。

 「寒い。痛い。辛い。悲しい……そういう物語が、昭和の高度成長期からこのかた忌避され、自分たちは幸せになれるのだ。なっていいのだという気持ちがこの国の成長の中にあったのだと思います。ところが、どんどん時代は変わり、現実が辛く、痛く、悲しく、寒くなっている。(中略)今日、そこにいてくださるあなたさまの、お心に、寄り添える浪曲であれるように、精一杯、精一杯、身を尽くします。」(奈々福よりお客様へのお手紙 より)

 言葉通りの見事な口演だった。心が暖まったせいなのか、人気の少なくなった仲見世の帰り道も妙に明るく感じられた。また聴きに行くつもりだ。