ヒロシマの前にあったこと2016年12月31日 14:37


 300人規模の座席はほぼ半分ぐらいが埋まっていた。ポップコーンやコーラの載ったトレイを持った家族連れもいたし、若いカップルから年配まで幅広い世代の観客だった。一昨日、この一年で起きた様々な“戦前回帰”をあらためて考え直してみたくなり、大きな話題にもなっているアニメーション映画『この世界の片隅に』を観に行った。

 原作自体を読んだのはだいぶ前のことになる。この映画がクラウドファンディングを行っているのをどこかで見かけたような気もするのだが、それをすっかり忘れた頃に今回の上映予定を知った。昭和19年の広島と呉を舞台に、そこで暮らした人々を丹念に描いた作品に多くの人が惹きつけられる理由はいったい何なのだろうか。

 時代も社会もずいぶんと違う上に、台詞には広島方言を使っている。原作の方では、“はみ出し”の注釈を始めとして詳細な説明が所々に施されていて、現在とは大きく異なる暮らしの有り様が理解できるように描いているのだが、アニメーションにそれを全て持ち込むわけにもいかない。ある意味、近年のドラマや映画によって象徴される戦前のイメージを助けにして、そこに、より強い生活実感を込めた物語を紡いだということだろうか。

 2時間10分の上映時間は短いとは言えないが、原作の各話にほぼ忠実な映像化によって丁寧に創られたアニメーションは、観た人の心に何かを残し口コミで広がっている。それは、上映後に原作本が急速に増刷されているらしいことでも明らかだ。見下ろす町に太極旗が翻る一瞬のカットを除き、原作にある“すず”さんの戦後の述懐が示す日本の戦争の有り様は十分に描けているとは言えないが、この映画を観た人が想像を広げる先に、蘇りつつある戦前回帰傾向が見えるならば、それはとても大きな意味がある。

 私は、広島を初めて訪ねたとき、呉と岩国も同時に回った。三つの街が歴史の時間軸上でどのように関連し、交差したのかを感じ、考えてみるつもりだった。かれこれ40年近く前の話だ。呉の古い駅舎を出て右回りに音戸の瀬戸まで歩いた。街は海上自衛隊と深い関係で結ばれていて御用達の店が所々に見つかる。海沿いの産業道路からは港や製鉄所が一望できた。頻繁に大型トラックが通り過ぎる道の脇を歩きながら、そこに日々の生活よりも産業を優先する思想も見た。江田島に渡り、海自の術科学校を見学し、そこに必ずしも旧軍と決別したわけではない様子も見て取った。だから、そうした先に“ヒロシマ”があることを意識した。オバマ大統領が広島訪問後岩国へ向かったように、私も岩国へ行った。そしてタクシーで基地を回りながら、核弾頭が持ち込まれているであろう弾薬庫を遠望し、“ヒロシマ”が続いていることを考えた。

 今はまだ、生まれ変わった“すず”さんの右手は片隅の世界を自由に描いているだろう。墨の絵から色彩豊かなアニメーションへと生まれ変わった物語が、右手を失う新たな“すず”さんを生み出さないように、多くの人に見てもらえればと思う。