王の便りは吟遊詩人には届かなかったか?2016年10月15日 22:13

 ボブ・ディランをノーベル文学賞に選んだものの、スウェーデン・アカデミーはツアー中の本人と話ができないでいるらしい。

 サルトルのように受賞を拒否することがあるのかどうかはわからないが、ネットのニュースではSONYの株価が上がったのだとか、関連商品のセールが始まったとかなど、昨年のアレクシエービッチをはるかに上回る“経済効果”とやらへの期待が続いているようだ。

 ボブ・ディランが後に続く音楽関係者にどれだけ大きな影響を及ぼしたかは、たとえば私のようなリアルタイムで聴いたわけではない者にも、彼の楽曲をカバーした多くの人々によって、その時代の“風”がどのようなものであったのかを何となく感じさせるぐらいには届いたことを考えれば想像がつく。

 それを“今更”という気持ちは正直にいってある。どうせなら、まだ陽が当たらないところにいるような、静かに言葉を紡いでいる人を選んで欲しかったと思う。もしかしたらディランもそれを望んでいるのかもしれない。

 「時代は変わる」ためには、もっと新しい言葉が必要だと…。