日本語への想い2022年07月16日 22:52

過日、来週末で終わる「生誕100年 ドナルド・キーン展」を神奈川近代文学館へ観に行きました。以前、キーン氏の生前に一度だけ声を聴いたことがあります。大英博物館で発見された古浄瑠璃『弘知法印御伝記』復活公演での短い舞台挨拶でしたが、ユーモア溢れる人柄に接することができました。
 キーン氏は、『源氏物語』が世界的に知られるきっかけを作ったアーサー・ウェイリーの英語訳に出会ったことで日本文学・日本語への強い関心を持ち、太平洋戦争では“語学将校”としてアッツ島やレイテ島・沖縄の戦場を渡り歩いて、戦後は中国での日本語捕虜の尋問にも携わっています。
 帰国後に本格的な日本文学の研究を進め、渡英したケンブリッジ大学では日本語・韓国語の講師も務めていたそうです。その後の京都への留学期間を通して谷崎・三島など多くの作家の知己となり、アメリカにおける日本文学研究の第一人者として多くの後継者を育てました。
 その学術遺産は幅広く、外国人から見た日本文化をこれほど的確に示すことができた人は稀でしょう。小泉八雲同様に、日本文化の最も良質な部分を愛した“個人”です。東日本大震災を契機に日本で永住しましたが、例の「国葬」などとは無縁の唯一無二な存在として、これからも多くの日本人から尊敬され続けることでしょう。日本語学習を支援する留学生にもその片鱗を伝えたいので、これから少しずつその著作を読んでいこうと思います。

先を見つめる“デザイン”のある日本語学校2022年06月14日 22:29

少しずつ出歩くことが増えています。先週の火曜は友人のパートナーの個展を観に外苑前へ出かけ、金曜には自宅から歩いて20分弱の歯医者に行きました。土曜日は、西区にある日本語学校の校内勉強会へ参加するため横浜駅から20分ほどの距離を往復しました。ちょうど7年前の今日、RKK(「留学生と語り合う会」)入会後に初めて日本語学習の支援を行った留学生が通っていた専門学校です。
 京急戸部駅に近い「横浜デザイン学院」は。古くは洋裁専科でしたが、2001年に現在の校名に変更し、ファッションを含めた様々なデザイン分野と外国人への日本語教育を併せた学院に生まれ変わりました。誘われて観に行った文化祭で、日本語の担当の先生を紹介され、以来、この学校が取り組んでいる日本語教師向けの勉強会に時々参加しています。
 一昨年まで、特定分野の専門家を呼んで外部にも門戸を開いた大人数の講座も定期的に開催されていましたが、このところは休止状態でした。今回は、一昨年夏のオンライン勉強会から久しぶりに行う校内勉強会への
お誘いをいただき、いそいそと参加することにしたのです。
 内容は、文化庁が出した「日本語教育の参照枠」という“公的”な参考目標を受け止めながら、それを実際の教育現場で具体化するための主体的な工夫を紹介するものでした。その成果は、デザイン専科を持つ学校ならではの“ZINE”作りにも現れています。写真やイラストが混じった日本語小冊子を見ると、「日本語学校」として運営してゆく方向性を確かめながら、一方で、現実の社会につながる外国人にとっての日本語教育のありように試行錯誤しながら取り組む先生方の姿勢を強く感じます。そこにはきっと学ぶ留学生への“敬意”もあるのでしょう。
 何より、この国に来て良かったと思えるような出会いがそこにはありました。そうした想いがもっと拡がって欲しいと心から思います。

習合する外国語2022年05月28日 22:21

地元の日本語教室に通っている学習者に、自由なテーマで毎週短い作文を書いてもらい始めて1年になります。今週のお題は外来語で、彼女は元の発音とは異なる難しさに苦労すると書いていました。毎回、その作文の”添削例”を示しながら、同時に関連する読み物をWebから探し出しては、一緒に読んでみるのですが、今回は国立国語研究所が開いている「ことば研究館」のHPに、”外来語はなぜ多いのか”という設問を見つけました。簡単に紹介します。
 たとえば、女性用の履物「ミュール」は英仏語の「mule」ですが、日本語への借用は、それを音としてどのようにカタカナで表現するかさえ決めるだけで使えるといいます。逆に日本語の「下駄」を”性”を持つ欧州語の名詞に借用するには、その母語を使う人びとの共通認識が必要です。また、言語によっては品詞ごとに異なる語尾への”変形”が必要になります。その点、日本語はそのまま受け入れれば良いので、借用・導入が簡単です。
 一方、タイ語のような基本的に語形変化しない言語でも外来語は採り入れやすく思えますが、文法的な機能がおもてに出ない分、語順や文脈と同時に語そのものの意味を理解することが必須です。その点、日本語の外来語は、仮に語の意味がわからなくても“機能”だけは簡単に分かります。「〇〇して」のような「する」の変化形がつけば動詞、「〇〇な」であれば形容動詞です。「〇〇は」や「〇〇が」のように助詞が直接つながっていれば名詞でしょう。その単語の文中での機能が一目瞭然です。
 借用しやすい名詞に限らず「グローバルな」や「アクセスする」など、他の品詞も容易に採り入れて、なおかつ文の構造は明確なので、外来語は多くなりがちです。
 この解説を読んでいて、膠着語という日本語の特徴が、海外から伝来した言葉を巧みに“習合”して使うことで、多くの文化変容を起こしてきたこの国の歴史を思い浮かべました。それだけに、今も、アジアの辺境にあって偏狭にならず、様々に海外と交流・交感する“知恵”こそが必要なのかと考えます。

交流の言葉が失われている2022年02月21日 21:52

2年前まで、例年この時期は日韓文化交流基金が外務省から請け負っていたJENESYS(対日理解促進交流プログラム)関連のイベントに参加していました。私が関わったのは、韓国の大学生(一部高校生)と日本人の韓国語学習者の交流企画で、横浜を中心に観光案内を兼ねたフィールドワークもそこには含まれています。最初の年は山手西洋館、次の年は中華街、一昨年はコロナ禍の始まりとなった横浜港周辺を避けて東京の芝・愛宕を案内しました。
 その時に手製の名刺を交換した釜山の大学生とは、その後何度かメールの遣り取りが続き、文科省の“研修留学生”として訪日するまでの2ヶ月弱ほど、オンラインで日本語学習支援を行っています。コロナ禍で様々な交流の機会が失われているのが本当に残念でなりません。

アジアを意識する日本語ボラ2021年12月09日 21:25

地元の国際交流ラウンジで日本語学習を支援している中国人が日本語能力検定N1を受験した。今年の1月からオンラインで続けてきたレッスンの成果が少しでも出ることを願っている。
 4月に中国へ帰国した元留学生とはメールの遣り取りが続いている。上海で中日韓英の交流会に参加したそうだ。
 コロナ禍で終了を余儀なくされたインドネシア人の元留学生からは、3番目のお子さんが生まれたとLINEで連絡があった。落ち着いたら紹介するという。
 6年を超えた日本語ボラで“アジア”を意識することが多くなった。強圧的な入管行政や、一部の劣悪な技能実習などに見られる強権的な態度は、30年間に渡って落ち続ける“国力”に反比例するように、過去の亡霊から未だに抜け出せない「あがき」のように見える。
 虚心坦懐に接してみれば、まだこの国に好感を持ってくれている多くの人々がいることに気づく。それが、いつまで続くのかは、我々次第なのだろうが…。