転がり始めた時代の新書 ― 2017年11月19日 11:20
サンデー毎日の身ながら、なんだかんだで出かけることが多い。電車での読書は習い性になっていて軽い文庫本や新書本は欠かせない。その昔、椎名誠が「活字中毒者地獄の味噌蔵」(今ネットで調べたら“もだえ苦しむ”という枕詞が付いていた)というエッセイを出していたが、私も本を持ち忘れたりすると少し強迫神経症気味になって一生懸命に車内広告を見たりする。なぜか、スマホでは駄目で印刷物に限る。身体への浸透力が違うのだ。
さて、この数ヶ月に車内で読み終わった“新書”だけを並べて見て驚いた。見事に偏っている。新書以外に車中で読んだ単行本や文庫を除けば、その多くが今のメディア情報から欠落する視点を補っているための読書と言える。もちろん、部屋での読書を含めれば、その比率は相対的に大きく下がるものの、とりあえず社会を把握するための情報摂取の大半が時代状況への疑義から出発しているというのは異常だろう。少なくとも昨年までこのようなことは無かった。
あきらかに、時代は転がり始めている。
さて、この数ヶ月に車内で読み終わった“新書”だけを並べて見て驚いた。見事に偏っている。新書以外に車中で読んだ単行本や文庫を除けば、その多くが今のメディア情報から欠落する視点を補っているための読書と言える。もちろん、部屋での読書を含めれば、その比率は相対的に大きく下がるものの、とりあえず社会を把握するための情報摂取の大半が時代状況への疑義から出発しているというのは異常だろう。少なくとも昨年までこのようなことは無かった。
あきらかに、時代は転がり始めている。