洛陽の民歌に残る苛酷な時代2022年08月18日 23:11

先週末、86回の連続放送が終了した中国ドラマ『三国志 司馬懿 軍師連盟』は、母国でも評判になっていたと留学生から聞きました。『レッドクリフ』に代表される“大合戦”シーンを中心にした娯楽大作ではなく、建国前から「魏」に仕えた数多い群臣たちのドラマです。曹一族の将軍・皇帝やそれに従う政治官僚・宦官などのキャラクターが見事に描き分けられていました。
 文人の五言詩や民間歌謡から集められた楽府(がふ)など、この時代に作られた韻文は建安文学と呼ばれるほど隆盛したようですが、その中心に三曺と呼ばれる曹操・曹丕・曹植がいたというのは驚きです。ドラマの中にも朗読があってストーリーを盛り上げる効果に役立っています。その中で特に印象的なのは、関羽の首を埋葬した後、心を鎮めるようにして馬車で郊外を廻った曹操が耳にする洛陽の民歌です。ビデオに撮って残して置いた映像の字幕から引用します。中国ドラマに良く出てくるエンディングの歌とはかなり違います。
 わずか15で従軍し 齢80にして帰途に就く
 道で郷里の人に会い 家族の無事を尋ねたり
 はるか先に我が家を見れば 松柏の茂る墓が連なれり
 野兎が土塀の穴を抜け 雉は梁から飛び立てり
 庭には雑穀がはびこりて 井戸の周りに葵が生える
 雑穀を集めて臼でつき 葵を摘んで汁を煮る
 暖かな食事を作れども 食べてくれる者もなし
 門から出て東を眺むれば 涙がとめどなく衣を濡らす
 曹操はもちろんのこと、司馬懿も三国統一を見ることなく世を去ります。この時代、中原はいくさばかりでした。この詩が番組全体の最後に再び詠まれたのは、苛酷な時代を生きた“民”への鎮魂のような気がします。日本の古代史ドラマの中で万葉集の防人の歌が詠われることはあるのでしょうか。
 それと、もう一つ。この番組の音楽をあの「S.E.N.S.」が担当していたと知りました。台湾映画『悲情城市』や90年代テレビドラマの劇伴などで知られたグループですが、個人的には映像技術を担当したNHK特集「地球汚染」のテーマが記憶に残っています。

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