“愛国”という名の不信2022年04月18日 22:16

日本語学習支援のボランティアとして、NPOで二人、地元の国際交流ラウンジで一人、合わせて三人の中国人を相手にそれぞれ週1回のレッスンを続けています。過去には他の国から来た日本語学習者も担当していましたが、この数年は外国人の入国そのものが大変難しくなったこともあって、全体として訪日人数の割合が非常に高い中国人への支援が多くなっています。
 何気ない会話の中に、中国のコロナ禍での強すぎる管理体制など、日本と比較した自国の問題点を向こうの方から指摘することもあり、どこにも政策に翻弄される市民が多く存在することを認識します。一方で、いたずらに緊張を高める脅威論を振りかざしながら、人びとの生活を蔑ろにして軍費を増やす政策が罷り通っています。幅広い人的交流を進めて安定的な国際関係を作ることの方が、どれだけ“安全保障”の役に立つのかを近代以降の歴史は証明してきました。
 自民党が忌み嫌う日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう…決意し…この憲法を確定する」と述べ、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」しました。これを根こそぎ無くして再び戦禍を招き寄せるようなことがあれば、“軍”が侵攻した諸外国の犠牲者を含む膨大な先の戦争での死者は浮かばれません。
 2017年度のギャラクシー賞大賞を受賞し、翌年のNHK-BS「ザ・ベストテレビ」でも放送されたドキュメンタリー番組「教育と愛国」が映画に生まれ変わったそうです。監督は今が時代の分水嶺になるという危機感を持って作っているのではないでしょうか。

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