海を渡って伝えた人を語る催し ― 2024年11月29日 17:28
お寺は一休みして、今回は繁華街。東京は銀座六丁目にある複合商業施設「GINZA SIX」の地下3階にある観世能楽堂を初めて訪ねました。人混みが苦手で、銀座は久しく遠ざかっており、直近は5年前の森田画廊か朝日ホールぐらいでしょうか。一応、銀座の周辺ですね。^^;
有楽シネマがあった頃は、SONYビルなども併せて良く通ったものですが昭和は遠くなりにけりです。混雑する銀座線の構内から一旦外に出てみたものの、通りも外国人観光客でごった返しているので、慌ててあづま通りの地下から向かうことにしました。こちらは極端に通行人が減ったせいか、100mほど奥に見える「GINZA SIX」から届く光が何やら少し神々しく見えます。そのまま地下2階にアクセスできるということで、上階にある吹き抜け構造も見ぬまま、さらに下の能楽堂へ向かいました。
この日の公演は能・狂言ではなく日中の伝統芸能が共同で行うものでした。演目は『東渡』。日本へ正式な戒律を伝えてもらう為に時の天皇が招聘した中国の高僧鑑真和上の物語です。何度も渡海に失敗し失明もしますが、六度目にしてようやく成功し日本へ渡って受戒を広めます。その最後の航海に先立つ中国黄泗浦(現在の張家港市)での別れを序章とし、出立前夜、渡海、日本での事績がそれぞれ章立てされ、最初と最後が蘇州評弾と浪曲が単独で、真ん中を蘇州評弾と狂言のコラボレーションが演じる構成です。舞台のはずれ、ワキ柱の横に翻訳字幕を表示するスクリーンが仮設され、中国風の音楽が全体の進行を表して行きます。
評弾とは中国にたくさんある語り芸の一種です。舞台中央には三味線と琵琶を手にする二人の演者がいて、それぞれ一人語り風に話を進めたり、時にかけ合いもありますが、途中から短い寸劇を演じる数名も橋掛かりから登場します。浪曲でいう「節と啖呵」にあたる部分があり、“節”の曲調は全体的に中国の労農歌のような歌い上げるものが多く、繰り返しながら高まってゆく感じです。
その評弾に、狂言の台詞がかぶるのが渡海の章です。嵐に見舞われて難儀する鑑真一行の有様を見た「海亀と小魚」が登場します。奥津健太郎・健一郎さんが演じます。かぶりものを付けた二人の演者は竜王の使いであることを明かし、船から落ちてしまった仏舎利を届けてくれるのです。狂言の台詞は伝統的な古式に拠った言葉で構成されますが、評弾と渾然一体とした雰囲気を見事に創り出していて驚きました。
最後の章は、純粋に日本の浪曲です。舞台上に設えられたテーブルと上手の相三味線。くすぐりこそありませんが、前章からの流れを引き継いで、鑑真和上の日本での事績を語ります。当代の最も優れた語り手の一人である奈々福さんの熱演は、日中交流の演目の掉尾を飾るに相応しいものでした。
この新作は、それぞれの演者によって作劇されたものであることが何より素晴らしいところで、ここに至るまでの準備に大いなる敬意を表します。パンフレット最後の「中国曲芸とは」という一文には、故永六輔・小沢昭一両氏の名前もあって、出来映えにさぞ満足されたであろうと思い及びました。
有楽シネマがあった頃は、SONYビルなども併せて良く通ったものですが昭和は遠くなりにけりです。混雑する銀座線の構内から一旦外に出てみたものの、通りも外国人観光客でごった返しているので、慌ててあづま通りの地下から向かうことにしました。こちらは極端に通行人が減ったせいか、100mほど奥に見える「GINZA SIX」から届く光が何やら少し神々しく見えます。そのまま地下2階にアクセスできるということで、上階にある吹き抜け構造も見ぬまま、さらに下の能楽堂へ向かいました。
この日の公演は能・狂言ではなく日中の伝統芸能が共同で行うものでした。演目は『東渡』。日本へ正式な戒律を伝えてもらう為に時の天皇が招聘した中国の高僧鑑真和上の物語です。何度も渡海に失敗し失明もしますが、六度目にしてようやく成功し日本へ渡って受戒を広めます。その最後の航海に先立つ中国黄泗浦(現在の張家港市)での別れを序章とし、出立前夜、渡海、日本での事績がそれぞれ章立てされ、最初と最後が蘇州評弾と浪曲が単独で、真ん中を蘇州評弾と狂言のコラボレーションが演じる構成です。舞台のはずれ、ワキ柱の横に翻訳字幕を表示するスクリーンが仮設され、中国風の音楽が全体の進行を表して行きます。
評弾とは中国にたくさんある語り芸の一種です。舞台中央には三味線と琵琶を手にする二人の演者がいて、それぞれ一人語り風に話を進めたり、時にかけ合いもありますが、途中から短い寸劇を演じる数名も橋掛かりから登場します。浪曲でいう「節と啖呵」にあたる部分があり、“節”の曲調は全体的に中国の労農歌のような歌い上げるものが多く、繰り返しながら高まってゆく感じです。
その評弾に、狂言の台詞がかぶるのが渡海の章です。嵐に見舞われて難儀する鑑真一行の有様を見た「海亀と小魚」が登場します。奥津健太郎・健一郎さんが演じます。かぶりものを付けた二人の演者は竜王の使いであることを明かし、船から落ちてしまった仏舎利を届けてくれるのです。狂言の台詞は伝統的な古式に拠った言葉で構成されますが、評弾と渾然一体とした雰囲気を見事に創り出していて驚きました。
最後の章は、純粋に日本の浪曲です。舞台上に設えられたテーブルと上手の相三味線。くすぐりこそありませんが、前章からの流れを引き継いで、鑑真和上の日本での事績を語ります。当代の最も優れた語り手の一人である奈々福さんの熱演は、日中交流の演目の掉尾を飾るに相応しいものでした。
この新作は、それぞれの演者によって作劇されたものであることが何より素晴らしいところで、ここに至るまでの準備に大いなる敬意を表します。パンフレット最後の「中国曲芸とは」という一文には、故永六輔・小沢昭一両氏の名前もあって、出来映えにさぞ満足されたであろうと思い及びました。
“タイパ”から離れる至福の時間 ― 2024年11月13日 17:21
お寺回りが続いています。先週末は遠出して八王子へ行きました。駅南の大通りを西へ向かって20数分、信松院という曹洞宗のお寺があります。武田信玄の息女松姫も祀られる観音堂の中でインド古典音楽を聴きました。
インドの楽器というと、あのラヴィ・シャンカールのシタールを連想しますが、今回はサントゥールとタブラの組み合わせでした。シタールは生音を聴いたことが数度ありますが、サントゥールは今回が初めて。その昔、藝大の小泉文夫氏が解説を務めたFM「世界の民族音楽」を聴いて、サントゥールの音色に魅せられたことがあります。渋谷桜丘のレコード店で初めて買った民族音楽のレコードは、レバノンの歌姫ファイルーズのアルバムと、イランのサントゥールでした。
さて、ラーガ(旋法)というインド古典音楽の様式を具体的に示す楽器サントゥールとタブラは、それぞれ単独で聴いても、その幻妙な響きに魅せられると思いますが、同時に行われるセッションでは、また一段と深い、ある種の超越的な広がりが感じられます。雅楽の笙や琵琶、タンゴのバンドネオンにもある倍音の響きが、幾重にも重なりながら拡がっていくようなイメージとでもいいましょうか。輪廻のような繰り返しは、少しずつ変調し、煙のように上昇していく感じもありますが、ジャズの即興にも似て、縁者の息が合う一瞬、あるタイミングで止まり、お互いの姿を確認しながらまた音楽は続くのです。
一日の時間帯で使うラーガが違ったり、7や10など複雑な拍子もあり、音楽のど素人には近づきがたい面もありますが、その演奏空間の不思議さを体験することにこそ意味があるのかもしれません。ちなみに観客のほとんどが女性でした。決まり切った日常から離れ、長い時間軸で物事を感じ考える機会を得られる点でも、“タイパ”社会から一時離れるその時間は現代人にとって何よりも貴重です。
インドの楽器というと、あのラヴィ・シャンカールのシタールを連想しますが、今回はサントゥールとタブラの組み合わせでした。シタールは生音を聴いたことが数度ありますが、サントゥールは今回が初めて。その昔、藝大の小泉文夫氏が解説を務めたFM「世界の民族音楽」を聴いて、サントゥールの音色に魅せられたことがあります。渋谷桜丘のレコード店で初めて買った民族音楽のレコードは、レバノンの歌姫ファイルーズのアルバムと、イランのサントゥールでした。
さて、ラーガ(旋法)というインド古典音楽の様式を具体的に示す楽器サントゥールとタブラは、それぞれ単独で聴いても、その幻妙な響きに魅せられると思いますが、同時に行われるセッションでは、また一段と深い、ある種の超越的な広がりが感じられます。雅楽の笙や琵琶、タンゴのバンドネオンにもある倍音の響きが、幾重にも重なりながら拡がっていくようなイメージとでもいいましょうか。輪廻のような繰り返しは、少しずつ変調し、煙のように上昇していく感じもありますが、ジャズの即興にも似て、縁者の息が合う一瞬、あるタイミングで止まり、お互いの姿を確認しながらまた音楽は続くのです。
一日の時間帯で使うラーガが違ったり、7や10など複雑な拍子もあり、音楽のど素人には近づきがたい面もありますが、その演奏空間の不思議さを体験することにこそ意味があるのかもしれません。ちなみに観客のほとんどが女性でした。決まり切った日常から離れ、長い時間軸で物事を感じ考える機会を得られる点でも、“タイパ”社会から一時離れるその時間は現代人にとって何よりも貴重です。
追悼の能と謡 ― 2024年11月04日 17:13
前記事の続き。第2部は能『柏崎』。鎌倉幕府体制下で訴訟のために永く鎌倉へ留め置かれた柏崎殿(御家人?)の訃報と、その息子“花若”の遁世(出家)を、ワキの家来が柏崎で待つ妻(シテ)へ知らせるところが前場です。前シテは早々に出場しており、笛柱の前で待っています。家来が形見の品を入れた打飼袋と手紙をそれぞれ順番に渡しながら事情を語り、妻がその最後の様を聞き取るという段取りです。話はそれから急展開して後場へ移ります。
あはれ狂女となった妻は柏崎を出て、古代から女人救済の信仰で知られる信濃の善光寺へ向かうのです。狂女に笹は付きものですが、道行では肩にかけ、着いてからは手元に下げていたようです。女人禁制の内陣に入るのを住僧(ワキツレ)が止めますが、阿弥陀仏の救済を説く狂女に気圧されます。この後、夫の形見の烏帽子直垂(えぼしひたたれ)を舞台上で着けて舞うのですが、この変化が非常に劇的です。形見を如来に参らせる(届ける?)という詞章の言葉もありますが、これは当時の風習として、死後に往生するために女性が男の姿に変わって成仏することに繋がっているのかもしれません。
物着で人が変わったように端正な舞が続いた後、住僧がもしやと連れてきた子方が息子“花若”だったところから、思わぬ邂逅に我を取り戻した狂女が我が子を抱きしめて芝居は終わります。
演目が終わり、登場人物に続き囃子方が退場しても、まだ地謡だけは残っていました。見所から微かな話し声が起きる中、銕仙会の山本順之師への追悼の一節がこの日の舞台で謡われました。能楽界ならではの慰霊の方法なのでしょう。
あはれ狂女となった妻は柏崎を出て、古代から女人救済の信仰で知られる信濃の善光寺へ向かうのです。狂女に笹は付きものですが、道行では肩にかけ、着いてからは手元に下げていたようです。女人禁制の内陣に入るのを住僧(ワキツレ)が止めますが、阿弥陀仏の救済を説く狂女に気圧されます。この後、夫の形見の烏帽子直垂(えぼしひたたれ)を舞台上で着けて舞うのですが、この変化が非常に劇的です。形見を如来に参らせる(届ける?)という詞章の言葉もありますが、これは当時の風習として、死後に往生するために女性が男の姿に変わって成仏することに繋がっているのかもしれません。
物着で人が変わったように端正な舞が続いた後、住僧がもしやと連れてきた子方が息子“花若”だったところから、思わぬ邂逅に我を取り戻した狂女が我が子を抱きしめて芝居は終わります。
演目が終わり、登場人物に続き囃子方が退場しても、まだ地謡だけは残っていました。見所から微かな話し声が起きる中、銕仙会の山本順之師への追悼の一節がこの日の舞台で謡われました。能楽界ならではの慰霊の方法なのでしょう。
能舞台の古浄瑠璃 ― 2024年11月03日 17:11
一昨日は、夕方近くになってから小糠(こぬか)雨の降る中、表参道まで足を伸ばしました。東横線から東京メトロへの乗り換えは一駅なので、渋谷から歩きます。一昨日のハロウィーンにぶつからなくて良かったと思いきや、大学祭の影響なのか宮益坂から青山通りにかけては雑踏が続きました。
ようやく辿り着いたのが銕仙会能楽研修所。この夏「能•狂言の教え方講座」でお世話になった会場です。本格的な能舞台の周りに畳敷きで五、六段の低い段差が作ってあって、そこに座布団を並べて見所にしてあります。定期的な公演も行っているようですが、この日はシテ方清水寛二さんの「響の会」という公演で、能『柏崎』という狂女ものの古典が取り上げられたのですが、その前段、第一部に行われたのも新潟県柏崎ゆかりの古浄瑠璃でした。
この『弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)』は、のちに即身仏(そくしんぶつ)となったという上人の一代記で、国文学者の鳥越文蔵氏が大英博物館で丸本を見つけ、ドナルド•キーン氏が復活に尽力するなどした結果、一人遣(ひとりづかい)の文弥人形で古浄瑠璃を演じる越後猿八座の代表的な演目となりました。浄瑠璃語りは説教祭文でもお馴染みの渡部八太夫師ですが、文楽における舞台上手の張り出し床はありませんので、能舞台の地謡座に設けられた語りの座で、古式ゆかしく演じ分けます。
猿八座の人形は一人遣いですから、馬に乗った人などは軽快に動きますし、人形そのものの“肉体的”接触も多くなります。3人遣いと比べれば、顔や手を含めた動作の細やかさは少し見劣りするのですが、登場している人形を群像劇風にとらえれば、語りに合わせた芝居の技巧が所々に観られます。おそらく、初見の演目であるほど、その効果は大きいはずです。能舞台の大きさもあっているようでした。とりあえずは、ここまで。
ようやく辿り着いたのが銕仙会能楽研修所。この夏「能•狂言の教え方講座」でお世話になった会場です。本格的な能舞台の周りに畳敷きで五、六段の低い段差が作ってあって、そこに座布団を並べて見所にしてあります。定期的な公演も行っているようですが、この日はシテ方清水寛二さんの「響の会」という公演で、能『柏崎』という狂女ものの古典が取り上げられたのですが、その前段、第一部に行われたのも新潟県柏崎ゆかりの古浄瑠璃でした。
この『弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)』は、のちに即身仏(そくしんぶつ)となったという上人の一代記で、国文学者の鳥越文蔵氏が大英博物館で丸本を見つけ、ドナルド•キーン氏が復活に尽力するなどした結果、一人遣(ひとりづかい)の文弥人形で古浄瑠璃を演じる越後猿八座の代表的な演目となりました。浄瑠璃語りは説教祭文でもお馴染みの渡部八太夫師ですが、文楽における舞台上手の張り出し床はありませんので、能舞台の地謡座に設けられた語りの座で、古式ゆかしく演じ分けます。
猿八座の人形は一人遣いですから、馬に乗った人などは軽快に動きますし、人形そのものの“肉体的”接触も多くなります。3人遣いと比べれば、顔や手を含めた動作の細やかさは少し見劣りするのですが、登場している人形を群像劇風にとらえれば、語りに合わせた芝居の技巧が所々に観られます。おそらく、初見の演目であるほど、その効果は大きいはずです。能舞台の大きさもあっているようでした。とりあえずは、ここまで。
信仰以前の世界が示すもの ― 2024年10月27日 17:08
お寺参りを続けています。といっても、本尊もろくに拝まずに、そこで開かれるイベントに参加しているだけなのですが…。開催時間を始めとする公的施設の制約も少なく、ご住職の関心のままに、比較的自由な環境で、様々な芸能の公演が、今“お寺”で開催されているのです。
コロナ禍の前までも、広尾の東江寺で開かれる「寺子屋」には良く通っていました。能楽師安田登さんが主催して、多様なテーマの講演やワークショップが開かれていたからです。
その後、人が集まる催しが次々に中止されてきたのと歩調を合わせるように、景気の後退を背景に集客ばかりを優先するイベントが増えていったような気がします。そうした中、芸能者自らが企画・主催することを考えた時に、たどり着いたひとつの答えが昔ながらの「寺子屋」だったのではないかと思うのです。同時に、先行き不安な時代にこそ「宗教」が社会に資する方便の一つとして、共に“学ぶ”場を提供することを多くの住職が考え始めたとしてもおかしくありません。
と言うことで、一昨日は池上へ足を伸ばしました。訪ねたのは實相寺。本門寺のお聖人が隠棲した庵室があった場所だそうですが、池上駅から歩いて13,4分、長い直線道路に飽きたころ、本門寺方面に右折した正面にあります。上演されたのは『イナンナの冥界下り』。安田さん率いる“ノボルーザ”の精鋭が集まっての開催です。畳敷の大広間に舞台を設え、観客はその前の椅子に着席。上手脇の扉を揚幕のように開閉し、そこから演奏者と演者が現れます。演目はメソポタミア神話を能に翻案したような演劇で、台詞はシュメール語。音は日本語に似ていますが、ようやく文字化されたのは楔形という古代。まだ女性が主役だった時代です。その芝居を、面(おもて)ではなく人形を使って演じます。さらに、能の「翁」のように舞台上でそれを身につけるのです。そういえば、女神イナンナが翁、精霊たちが千歳、冥界の門番ネティが三番叟のようにも思えてきます。
音楽も豊かです。異界への誘いのように琵琶が鳴るかと思えば、神々の登場に笙の独特な音色が添います。精霊の踊りには鋭いバイオリンの響きが重なり、太鼓はアメリカインディアンの踊りを彷彿とさせました。そららにキーボードの様々な音が被ります。豊かな音色を添えました。
全体を暗くした広間を神主のような衣装に白足袋で歩く姿は、何やら「遷御」のようにも見えましたし、7つの神力「メ」を剥ぎ取られ鉤に吊るされた肉体は十字架のキリストにも似て、とても宗教的な意匠に彩られています。また、精霊が運ぶ「生命の植物」はノアの洪水後に鳩が咥えてきたオリーブを連想させました。
最後、イナンナの復活劇は、川のような長い白布を持った登場人物全員の退場で締めくくられるのですが、能の橋がかりとは逆に、上手すなわち東方へ向かう冥界からの再生を意味しているようにも感じました。豊穣を予祝するような芸能を古代人はビールを飲みながら観ていたような記録もあるそうで、観終わった後の満足感に帰路が近くなった気分でした。
コロナ禍の前までも、広尾の東江寺で開かれる「寺子屋」には良く通っていました。能楽師安田登さんが主催して、多様なテーマの講演やワークショップが開かれていたからです。
その後、人が集まる催しが次々に中止されてきたのと歩調を合わせるように、景気の後退を背景に集客ばかりを優先するイベントが増えていったような気がします。そうした中、芸能者自らが企画・主催することを考えた時に、たどり着いたひとつの答えが昔ながらの「寺子屋」だったのではないかと思うのです。同時に、先行き不安な時代にこそ「宗教」が社会に資する方便の一つとして、共に“学ぶ”場を提供することを多くの住職が考え始めたとしてもおかしくありません。
と言うことで、一昨日は池上へ足を伸ばしました。訪ねたのは實相寺。本門寺のお聖人が隠棲した庵室があった場所だそうですが、池上駅から歩いて13,4分、長い直線道路に飽きたころ、本門寺方面に右折した正面にあります。上演されたのは『イナンナの冥界下り』。安田さん率いる“ノボルーザ”の精鋭が集まっての開催です。畳敷の大広間に舞台を設え、観客はその前の椅子に着席。上手脇の扉を揚幕のように開閉し、そこから演奏者と演者が現れます。演目はメソポタミア神話を能に翻案したような演劇で、台詞はシュメール語。音は日本語に似ていますが、ようやく文字化されたのは楔形という古代。まだ女性が主役だった時代です。その芝居を、面(おもて)ではなく人形を使って演じます。さらに、能の「翁」のように舞台上でそれを身につけるのです。そういえば、女神イナンナが翁、精霊たちが千歳、冥界の門番ネティが三番叟のようにも思えてきます。
音楽も豊かです。異界への誘いのように琵琶が鳴るかと思えば、神々の登場に笙の独特な音色が添います。精霊の踊りには鋭いバイオリンの響きが重なり、太鼓はアメリカインディアンの踊りを彷彿とさせました。そららにキーボードの様々な音が被ります。豊かな音色を添えました。
全体を暗くした広間を神主のような衣装に白足袋で歩く姿は、何やら「遷御」のようにも見えましたし、7つの神力「メ」を剥ぎ取られ鉤に吊るされた肉体は十字架のキリストにも似て、とても宗教的な意匠に彩られています。また、精霊が運ぶ「生命の植物」はノアの洪水後に鳩が咥えてきたオリーブを連想させました。
最後、イナンナの復活劇は、川のような長い白布を持った登場人物全員の退場で締めくくられるのですが、能の橋がかりとは逆に、上手すなわち東方へ向かう冥界からの再生を意味しているようにも感じました。豊穣を予祝するような芸能を古代人はビールを飲みながら観ていたような記録もあるそうで、観終わった後の満足感に帰路が近くなった気分でした。