失われた均衡を探す内省の旅2021年05月15日 11:44

先月から、ル・グウィンの『ゲド戦記』を寝る前に少しずつ読んでいる。魔法使いが出てくる数ある児童文学の中でも、ひときわ主人公が内省すること多い物語だが、以前から気になっていたキーワードがあった。読んでいて忘れそうな頃になると決まって繰り返される“均衡”という言葉だ。いわゆる「バランス」というような概念とは似て非なるものである。
 福岡伸一博士の「動的平衡」という言葉には少し似たような印象を持つけれど、清濁併せのむといった世渡りの作法ではないし、自分の中にある異質なモノとどう付き合うかという哲学とも違う。もっと大きなカオスから生まれた「ガイア」のような身体を含む自然環境に関わるイメージが伴う。“生かされて”いるという感覚が仏教にも近い。それが狂い始めているというのがこの物語の背景にある。
 魔法を魔法たらしめるためには、そのモノの「真(まこと)の名」を知らなければならない。だから、魔法使いには誰よりも本来の意味で“知る”ことが課される。逆に、自らの名を秘して生きることも求められる。それは、“知る”ことから免れた多くの人から孤立することを意味する。『ゲド戦記』とは自らの驕りから呼び出してしまった“影”を自らに包み込み“己を全きものとしたところ”から始まる物語なのだ。そこが出発点である。
 結末はまだずっと先だが、訳者の清水真砂子さんの言葉をEテレの「こころの時代」で聴いたことがある。戦争体験者がうらやましいと語った学生の声から生まれた「“平和を”生き延びる」大切さ、そして『ゲド戦記』外伝の「世界に希望が残されているとしたら、それは名もなき人々の中にある」というものだ。これから続きを読む物語の中にその意味が見つかるだろうか。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2021/05/15/9402452/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。