琉球国が独立! ― 2015年04月01日 23:00
近世から近代にかけて「日本語」が大きく変わったのは19世紀のことで、それらは大きく三つに分かれるそうです。初頭には本居宣長らによる国学の隆盛があり、中期の幕末は諸外国との外交通商のために通訳・翻訳の需要が拡大し、末期は明治政府による“国語”の制定・普及がありました。
この中で、中期の通訳・翻訳を主に担ったのは長崎出島の通詞たちでした。世界史的には既にオランダ・スペインからフランス・イギリスへと帝国主義勢力の中心は移っていましたが、日本が結んだ欧米各国との条約は、当初はオランダ語版を正文として、相互の理解と確認を行っていたようです。外交文書における言語表現には、それまでの商務中心の通訳・翻訳とは異なる新たな国民国家の論理を理解しなければならず、世襲役人から幕臣や雄藩の藩士に取り立てられとはいえ、外交摩擦の最前線での苦労は並大抵のものではなかったでしょう。
その一人、後に日本で最初の英和辞典「エゲレス語実相和解」の編集に携わった森山栄之助(多吉郎)が、明治新政府に出仕することなく在野で塾を開いたのも、一つには、諸外国との難しい交渉を乗り切ったはずの幕府があっさりと瓦解してしまったこともあったのではないかと思います。
「憲法改正を国民に1回味わってもらう」と言いながら、“立憲主義”は知らないとつぶやくどこかの国の補佐官とは違い、そこには見事な“公人”としての覚悟と振る舞いが感じられます。
そういえば、同じ国の官房長官も「この期に及んで」などと言っていました。「この期に及んでも」自治の精神の何たるかが分からない元総務大臣もいたりするものですから、心ある官僚の中には本気で下野しようと考えている人もいるかもしれません。
吉里吉里国は震災もあって日本からの早期独立は難しいでしょうが、琉球国の方はもう本気で考えても良いころではないかと案じます。
えっ、もう独立しましたか?
この中で、中期の通訳・翻訳を主に担ったのは長崎出島の通詞たちでした。世界史的には既にオランダ・スペインからフランス・イギリスへと帝国主義勢力の中心は移っていましたが、日本が結んだ欧米各国との条約は、当初はオランダ語版を正文として、相互の理解と確認を行っていたようです。外交文書における言語表現には、それまでの商務中心の通訳・翻訳とは異なる新たな国民国家の論理を理解しなければならず、世襲役人から幕臣や雄藩の藩士に取り立てられとはいえ、外交摩擦の最前線での苦労は並大抵のものではなかったでしょう。
その一人、後に日本で最初の英和辞典「エゲレス語実相和解」の編集に携わった森山栄之助(多吉郎)が、明治新政府に出仕することなく在野で塾を開いたのも、一つには、諸外国との難しい交渉を乗り切ったはずの幕府があっさりと瓦解してしまったこともあったのではないかと思います。
「憲法改正を国民に1回味わってもらう」と言いながら、“立憲主義”は知らないとつぶやくどこかの国の補佐官とは違い、そこには見事な“公人”としての覚悟と振る舞いが感じられます。
そういえば、同じ国の官房長官も「この期に及んで」などと言っていました。「この期に及んでも」自治の精神の何たるかが分からない元総務大臣もいたりするものですから、心ある官僚の中には本気で下野しようと考えている人もいるかもしれません。
吉里吉里国は震災もあって日本からの早期独立は難しいでしょうが、琉球国の方はもう本気で考えても良いころではないかと案じます。
えっ、もう独立しましたか?
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