侵攻の歴史を学ぶということ2023年08月25日 20:53

先日、東京新聞から投稿への謝礼が送られてきました。戦後78年というタイトルに導かれるように書いてみた短文が、敗戦記念日の少し前、12日朝刊の発言欄に掲載されました。かいつまんで紹介します。
 退職後の外国語学習がきっかけで始めた留学生を含む外国人への日本語学習支援の中で、日本が先の戦争で侵攻した歴史を学んだアジアの若者が、そのことを戦後生まれの日本人である私に問うことはありません。日本で毎夏繰り返される戦争報道の多くは、日本人の“被災”を取り上げたものばかりですが、本来、その遠因である侵攻の歴史こそ学ばねばならないのではありませんか。
 学習支援を通して知り合ったアジアの年若い隣人は、外国人であるよりも先に「個人」、さらには「友人」でもあります。自ら望んで日本語を学び続けている彼ら彼女らが、ただ“外国人”というだけで一つの「集団」に括られて、不当な扱いを受けることがあってはなりません。
 関東大震災直後に虐殺された人々は、朝鮮人が最も多く中国人・日本人もそこに含まれました。集団による狂気を、個人の証言から集団の記憶にして蓄積することが「歴史を語ること」につながると内田樹は述べています。今、直面しているある種の狂気を伴った社会変化のただ中にいて、私はまだ、日本語学習者へ語る言葉がなかなか見つけられないでいます。

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