被災ばかりの戦争体験2022年08月31日 23:14

「戦後」77年目の8月が終わります。“敗戦”記念日15日を中心に放送された“戦災”関連報道は、今年もその多くが自国民の“被災”を振り返るだけのものでしたが、その中で、中国や満州へ従軍・開拓に入った一般人の記憶を追った「侵略リピート」(NNNドキュメント)、無謀な軍司令官が命じたインパールに続くビルマ戦線の惨憺たる実態を調べた「ビルマ 絶望の戦場」(NHKスペシャル)、戦時メディアの欺瞞に触れた「77年前の戦争とメディア」(報道特集)などが印象的でした。
 あのカルト宗教団体の変更後の名称に含まれる“世界平和”や、「戦争はいけない」という尤(もっと)もらしい言葉が虚(うつ)ろに響く現代にあって、こうした試みを続けること自体はとても大事ですが、一方で、そこにさえ、あの時代に日本人が出会ったはずのアジアの人々の声が少しも聞こえてこないということに暗澹(あんたん)とします。
 外国人の日本語学習を支援する活動を始めたときから、訪日するアジア各地の留学生が学んできた歴史がどのようなものであるかについて思いをめぐらしてきました。彼女・彼らとの対話で「戦前」の話が出ることはほとんどありませんが、その祖父母らが生きていれば、孫たちが日本語を学ぶことをどのように考えるだろうかと想像します。
 自然災害のように“被災”ばかりに終始する戦争記憶は、他国に侵攻し、他国民を蹂躙した末(すえ)に起きたのだという現実を覆い隠してしまいます。もちろん、自国民にさえ大量の「餓死・戦病死」を引き起こした戦時体制を未だに正面から否定できない人もいるぐらいですから、それは無理もないことなのかもしれませんが、その結果として、個々人の“戦争責任”は問われないままに、悔恨を抱き続ける少数の人だけが細々と語り継いでいます。それは、先の「報道特集」で取り上げられた伊丹万作の「戦争責任者の問題」でさえ未だに解消できないことと通底します。
 統一教会の故文鮮明が唱えた「日本人の罪」は、カルト宗教のビジネスワードに過ぎませんが、それを信じる日本人の信者は、本当の戦争責任に向き合ってこなかったこの国の戦後社会の犠牲者とも言えるのではないでしょうか。そして、その団体に信義を与えた元首相が「国葬」される9月が明けます。

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