○○という時代は?2019年12月31日 19:18

2019年の年が暮れる。“○○”元年とか“○○”初という大して意味のないイベントもこれでそろそろ終わりになるだろうか。それにしても、なかなか大変な年だった。主権者のように君臨して専横を欲しいままにしている“こども大人”のおかげで、社会の隅々にまで似たような輩(やから)がわれもわれもと溢れかえっている。
 電車の吊り紙、新聞の三段、そしてPCの画面から時々視界に入る匿名のリプライなど、怨嗟や嫉妬の文字や声がなるべく目や耳に入らないにようにしながら、精神的な安寧を求めて様々な人間的つながりを模索した一年だった。テレビはごく一部の録画番組を再生するほかは日常的に見なくなって久しい。きっかけとしてさえその存在価値が見いだせなくなりつつある。
 大晦日、元留学生がRKKニュースの新年号に載せるために送ってくれた原稿に心癒やされる。年明け4日には、新しい留学生とのレッスンも始まる。元々そのきらいはあったが、大きな組織から離れてみると、大仰な物言いを聞くよりも、一人一人の個人を相手にした関係性に強く影響されている自分が良く見えるようになった。そして、世の中でどのように他人と共生していくのかについては、もう日本人と外国人との特別な差異を感じない。だからこそ、入管の非道な行いやヘイトスピーチには怒りがこみ上げる。
 さて、来年はどんな年になるだろうか。実は、年内にもう二つ書き損ねたことがあるが、それは年が明けてからゆっくり書くことにする。皆さん、良いお年を。
ps. “○○”は二つに分けて読んでみて下さい。“零”と“輪”です。そういえば「新選組」から寄附の領収書が届いていたなぁ。

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