本を読むユーモア ― 2018年09月24日 13:49

三連休の最後でセールに湧く元町商店街の裏通りを抜けると、ウチキパンが朝から異様な盛り上がりを見せていた。残暑なのか、日差しも熱く感じる。外人墓地を横目に、見尻坂を登るいつものコースで神奈川近代文学館に向かう。今日が最終日となる石井桃子展を観に行った。没後10年を記念する展示会は、反知性主義が広がりを見せるこの時代に向けて、戦中・戦後の児童文学を編集者・翻訳家・作家、そして家庭文庫といういくつもの立場から牽引した女性を取り上げることで問題提起しているようにもみえる。
彼女が出版の分野で活躍した岩波書店は、保守的な人士からは“岩波文化”などと呼ばれ、冷やかしの対象になることもあるが、20代の頃エキプ・ド・シネマの会員だった私には、当時ここ以外では観られない作品を上映してくれるかけがえのない空間だった岩波ホールに通じる。石井が、「世界」の編集長吉野源三郎に望まれて創刊にたずさわった岩波少年文庫は、世界中から多くの傑作を見つけ出し、戦後の日本の児童文学に欠かせない多くの種を蒔いた。いや、文学にとどまらず、たとえば宮崎駿監督が企画したジブリ作品の中にもそれは見い出せる。
彼女が翻訳に関わった児童書の中には、今も続く「くまのプーさん」や「ちいさなうさこちゃん」(ミッフィー)など、錚々たる作品群があるが、いつまでも長く読み継がれてきた本に共通するある特徴を感じる。それは上質で豊かなユーモアが作品の中にあふれているということだ。今回の展示のあちらこちらに掲げられた彼女の文章を読んでいて、私は繰り返し吹き出しそうになった。石井桃子という人は生来の楽天的な資質を生涯持ち続けることができた希有な人だったのではないか。そんな気がした。
彼女が出版の分野で活躍した岩波書店は、保守的な人士からは“岩波文化”などと呼ばれ、冷やかしの対象になることもあるが、20代の頃エキプ・ド・シネマの会員だった私には、当時ここ以外では観られない作品を上映してくれるかけがえのない空間だった岩波ホールに通じる。石井が、「世界」の編集長吉野源三郎に望まれて創刊にたずさわった岩波少年文庫は、世界中から多くの傑作を見つけ出し、戦後の日本の児童文学に欠かせない多くの種を蒔いた。いや、文学にとどまらず、たとえば宮崎駿監督が企画したジブリ作品の中にもそれは見い出せる。
彼女が翻訳に関わった児童書の中には、今も続く「くまのプーさん」や「ちいさなうさこちゃん」(ミッフィー)など、錚々たる作品群があるが、いつまでも長く読み継がれてきた本に共通するある特徴を感じる。それは上質で豊かなユーモアが作品の中にあふれているということだ。今回の展示のあちらこちらに掲げられた彼女の文章を読んでいて、私は繰り返し吹き出しそうになった。石井桃子という人は生来の楽天的な資質を生涯持ち続けることができた希有な人だったのではないか。そんな気がした。
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