多彩な比喩と多様な解釈2024年08月12日 16:23

昨日、夏休みのオンライン補習の2回目を開きました。「氷男」の読解の続きです。採り上げるきっかけになったのが文学国語の教科書なので、そこには「学習の手引き」なる問題文も追加されているのですが、教科書編者の問題意識とは関係のない読み方(つまり自ら問いを立てること自体)にこそ、小説を読む醍醐味はあると考えています。
 そこで、1回目は不思議な対象、社会的に見えない存在としての“氷男”そのものに焦点を当てましたが、2回目はその特徴について少し掘り下げてみることにしました。
 学習者から「氷男」はいきなり大人になったようだという感想がありました。とても面白い指摘です。主人公の“私”のことは遠い昔の話まで知っているとあるのに、「氷男」自身は過去を持たないという。想像を拡げれば、“私”の過去を知り得るのは面前にいる人間の記憶を辿る“能力”が「氷男」にはあるからでしょう。氷結している心の奥を溶かして見通す力でしょうか。そして、身体的に深い他者との体験が人の中に記憶を深く刻みつけていくものならば、「氷男」にそれが無いのは、そうした体験を持つことなく絶対的な孤独の内に生きてきたからだとも言えます。皆外出して閑散としているスキー場ホテルのロビーや冷凍倉庫はそうした彼の過去を象徴しているのかもしれません。
 他にも「南極」にまつわる様々な感想や意見などが出ましたが、次々に出てくる比喩の数々によって人それぞれに自由な解釈が生まれるところは、この短い小説の大きな魅力だと感じます。まさしく、それが世界中で読まれる理由の一つなのでしょう。
 久しぶりにいろいろと読み直していますが、今は手元に『レキシントンの幽霊』はないので、アメリカ編集版の『めくらやなぎと眠る女』を手に取っています。

五輪と聖書の欺瞞2024年08月12日 16:26

8月10日、多くの住民が避難しているガザ市内の学校をイスラエル軍が空爆した。国際法を踏みにじり、パレスチナ人を根絶やしにするようなジェノサイドを続けるこの国の首相が、イエスの誕生を耳にしてダビデの街の幼子を虐殺したヘロデ王に重なって見える。私は元々無神論者だが、キリスト教徒というものは、この惨状を前にして一体何を考えているのかを深く疑っている。
 長崎市が平和祈念式典にイスラエルを呼ばなかったことを「政治的に利用した」などと言って欠席したアメリカを始めとするG7各国(日本政府は静観)の大使たちは、国際法の観点からみてロシアのウクライナ侵攻とどう違うのかを説明できるのだろうか。
 もとより、ロシアもイスラエルも共に呼び、核兵器を後ろ盾にした信仰ならぬ侵攻の“過ちを繰り返さない”ようにと意識させることはできたかもしれないが、パリの別の“祭典”同様、一方的な“正義”に基づいて判断されるダブルスタンダードの世論の方は、明日をも知れずに生き続けなければならない人には決して向かわない。
 それとも、彼らはイエスが辿った歴史のように、パレスチナの人々もまた、エジプトへ逃げれば良いとでも考えているのだろうか。