記憶される感情2020年01月17日 22:46

ここ数年伝統芸能の口演へ行くことが多い。昨年末は活弁と浪曲で暮れ、新年は落語と浪曲で明けた。
 暮れも押し詰まった12月30日。代官山にある「晴れたら空に豆まいて」という小さなライブハウスで「語り屋活浪」というイベントが開かれた。ビルの地下2階だが板敷きの舞台と畳敷きの客席が“見世物小屋”然としている不思議な空間だ。以前、このビルの地下1階に「山羊に、聞く?」というこれまた変わった名前のライブハウスがあって、石嶺聡子さんの歌声を聴いたことがある。そのせいか、デジャブのような感覚があった。
 さて、周防監督の映画「カツベン」が公開され、無声映画の活動弁士に関心が集まっているようで、この日は大変な盛り上がりだった。弁士は片岡一郎氏。前述の映画で高良健吾ほかの俳優陣に演技指導した人である。上映された無声映画の1本目はアメリカの短編『It’s a gift』。石油成金時代の発明家の話である。実に他愛のない作品なのだが、これに“語り”が加わることで、いつのまにか引き込まれるという具合だ。2本目は板東妻三郎主演『森の石松』の一部分。肝心のこれからというところが残っていない作品を採り上げるのは、後に続く浪曲でお楽しみという趣向のようである。片岡氏の“語り声”に何となく聞き覚えがあった。狂言の野村萬斎が三谷幸喜のドラマでポアロを模した髭の探偵役を演じた時に似ている。言葉そのものは普通だが、少し“木で鼻をくく”ったような声音なのだ。これは、映画を観る観客の立場からスクリーンの登場人物を揶揄(やゆ)するようなポジションに弁士が立っているということかもしれない。
 後半の浪曲は奈々福さん。今やチケットが取りにくいほどの人気である。連日の公演が影響したのか、この日の前日に声が出なくなったという。そのおかげで、なかなか聴くことはないであろう濁声の混じった口演だった。演目は「清水次郎長伝」から『お民の度胸』。侠客伝の中でも女性が活躍する珍しい話だが、少し“どす”の混じった声ならではの迫力だった。
 明けて1月9日は広尾東江寺の寺子屋で立川志のぽんの『高砂や』。頼まれ仲人の八五郎が能『高砂』の待謡(まちうたい)を隠居に教えてもらうが…という、いわゆる鸚鵡返しのネタ。軽みのある楽しい一席だった。その翌日は「渋谷らくご」の初席。20時からの公演はNHK落語ディーパーでお馴染みの若手落語家三人(立川吉笑・柳亭小痴楽・柳家わさび)と奈々福さんという組合せ。年若い人へのお年玉のような番組である。演目はそれぞれ新作『走馬灯』、浪曲『寛永三馬術愛宕山梅花の誉』、『粗忽長屋』、『佐々木政談』。冒頭、初席らしい触れ太鼓が流れた。30代の若手落語家はいずれも語りが速くて、やや難聴気味の耳をそばだてていないと聴き取ることが難しかったが、吉笑は“勢い”、小痴楽は“キレ”、わさびは“上手”といった第一印象である。奈々福さんは手慣れた演目だったが、三味線が若い美舟さんということもあり、馬との掛け合いに美舟さんの口振り「お姉さん」を盛んに使って客席を和ませていた。
 年末年始はテレビを観る機会がほとんど無かったが、こうした生の口演を聴き続けていると、その場の感情が自分の身体の中に長く居残っていることを強く感じる。だから楽しい。