伝統とのコラボレーション2019年01月06日 18:48

朝の低い位置に輝く太陽が波間をきらめかせている。そんな風景を久しぶりに見た。東海道線の各駅列車に乗って熱海へと向かう車窓からの風景だ。さまざまな額装を手掛けている知人が昨年暮れにギャラリーを開いたので、旧交を温めながら熱海の街の新春風景を見に行こうと出掛けた。
 駅からアーケードの商店街を抜けてつづら折りの道をずっと下っていくと海に近い平地にでる。大正天皇の転地療養先として作られた旧御用邸跡地を右に見てさらに進み、平地の西端あたりの交差点で海岸へ向かうと、この一帯では数少ない広く平らな道の先に長い土塀が見えてくる。大正時代に和風の別荘として建てられ、昭和期に洋館が増築され、戦後は旅館として関連施設が建て増しされた建築物がある。旅館時代の名称「起雲閣」が残り、現在は熱海市が文化財に指定している。観光施設と市民に開かれた有料スペースが混在する不思議な空間である。ただ残念なことは、平地にあるために近代建築が後景に入ってしまうことだ。
 そのギャラリーで日本画家大谷まやさんの羽子板絵が展示されている。昨年暮れまでの屏風絵を模様替えし、元旦から八十点近い羽子板絵を展示する準備で知人は腰を痛めたという。確かに、軽妙な味わいを見せる独特な画風の絵が描かれている素材は、持ち重りのしそうな重量感のある板である。いわゆる羽子板飾りのように立体的に盛られているわけではないのだが、その重みのイメージは木の質感によるのだろうか。江戸文化の軽みが温泉町の伝統に良く合っている。
 その羽子板絵が飾ってあるもう一つの場所に行った。熱海芸妓見番歌舞練場(あたみげいぎけんばんかぶれんじょう)。芸者衆の技芸向上を目的とした花柳界の練習場であると共に、芸者を座敷に呼べない一般庶民のために広く伝統文化を紹介する舞台施設でもある。毎週末に開かれる「華の舞」という熱海芸者の舞踊公演を観た。新春公演ではなく通常の番組だが、手獅子を使った獅子舞や万才くずしなど祝い芸もある。基本的に狭い座敷で演じる端唄を元にした踊りが多いが、全体として新春らしい趣向も交えた華やかな舞台だった。
 午後からギャラリーで歓談して別れた後、海岸に出てみた。ここは“♪熱海の海岸散歩する〜”で有名な「金色夜叉」の舞台だが、少しだけ砂浜を歩いていたら面白い像に出会った。案内板によれば、江戸安政の頃、漁民の一揆に味方して韮山代官所に上訴し、島流しの刑を受けて虐待死した釜鳴屋平七という網元の息子の夫婦像とのこと。浪曲の演目になってもいいような話だが、一方で“義人”という言葉が死語になっていることに思い及んだ。
 静岡県とはいえ県境の街なので、横浜駅から普通列車でも1時間20分弱で行ける。今回、思ったよりずっと近い印象を持った。

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