ディストピア小説のゆくえ2018年09月02日 13:27

 乱読傾向は昔からのことだが、ある時期に集中して読んだジャンルがある。翻訳SF小説だ。初めて買った翻訳小説がレイ・ブラッドベリだったこともあり、20代の中頃に良く読んだ。精神的にも思い切り背伸びしていた時代で、内容を十分に把握できないモノも数多かった。たとえば、フィリップ・K・ディックなどはその筆頭かもしれない。
 先日暑さしのぎに入った駅前の書店で、ぶらぶらと時間を潰していた時に、久しぶりにディックの文庫本が平積みされているのをみつけた。少し前に映画ブレードランナーの続編が公開された時に並んでいたのを記憶するが、それ以来だろうか。今でも敷居は高いように思えたが、久しぶりに読んでみることにしたは、帯の惹句に引かれたせいかもしれない。「現代の監視社会を予見した奇才のディストピアSF」、『いたずらの問題』。
 内容はディックらしい近未来的未来小説というところで、テクノロジーの進化や社会発展(衰退?)の状態が微妙に過去を引きずっている具合が何とも面白い。大人の道徳的逸脱を探し回る“ジュブナイル”という名の監視虫(ロボット)や、居住ブロック毎に開かれる倫理審問会の様子など、高度に道徳を管理された社会の一例を示す文脈の中に、現代社会を見通したような表現も出てくる。審問会参加者の声は個人を特定できないような加工がほどこされて全体に提示される。いわばツイッターの匿名の放言だ。そうした世の中に“大人”のいたずらを仕掛ける主人公自身が、道徳再生運動を主導するメディアに企画を出す代理店のオーナーという皮肉。
 しかし、そのような敷かれたレールから意図的に外れようとするところもまた、人間たる所以だろう。最近、アンドロイドのような人が増えているだけに、身につまされるような変な読後感だった。

伝える人ふたり2018年09月02日 13:29

 2年前の秋、「病院を撃つな!」という強いメッセージを伴って開かれた写真展に行った。その時、写真の現場、すなわち紛争地に赴いて医療活動を行う看護師の話を聴いた。穏やかな表情で静かに語る内容は、この日本にいたら想像もつかないことばかりだった。以前この場に書いたが、診療所をどこにどのように造るのか、そしてそのことをどのように報せるのか…という質問に、紛争地で活動するため、当事者と接触し、生活の場ともなる場所の選定から活動の保証まで、医療行為を始める前に数多くの課題がある。ただ、一旦開くことさえできれば多くの人々は口コミを頼りに遠くから集まってくる。そして、現地の人々によるボランティアが生まれる。そうした多くの人による積み重ねが、たった1回の空爆により雲散霧消すると答えてくれた。
 その看護師、MSF(国境なき医師団)の白川優子さんが著書「紛争地の看護師」を上梓し、渋谷の書店でトークショーを行うと聞き、先週末聴きに行った。トークの相手は東京新聞の望月衣塑子記者、ジャーナリズムへの志望もあった白川さんからのリクエストだそうだ。スライド資料を使ってMSFの現状を簡単に紹介した後、望月さんが促すような形で著書の背景である紛争地のいまと白川さんの経験が語られた。
 医療のサポートが必要な所であればどこにでも行くが、外科の看護師としての豊富な経験から、どうしても銃撃・空爆などによる傷害への対応が必要な紛争地が多くなる。安全管理を重視する組織とはいえ、ぎりぎりまで患者へ向かわざるを得ない現場に遭遇する。そんな中で、患者個々への関心を持ち続けるところにとても感心した。言葉が通じなくとも名前を呼ぶ。言葉でなぐさめられなければ手を握る。それがどれだけ多くの患者に生きる希望を与えてきたかを想像する。どんな状況であろうと“看護師”であるという姿勢は、紛争地と日本を行き来する中で変わらないように見えた。その“想い”が先行してしまう人なのだろう。そんな印象をあらためて感じた。
 著書は、2年前の秋の展示会直後に、ISに占拠されたモスルへの出発要請から始まる。MSFは証言活動にも取り組んでいるという。まず、知ってもらう。その為の一歩に立ち会った。是非多くの人に読んでもらいたい。
 ちなみに、このトークショーが行われた前日までの二日間。川崎市とどろきアリーナではイスラエルによる軍事見本市が開かれた。国外ではロシアに次いで二番目となる。“血塗られた”催し物が身近な所で行われるようになったことも一緒に考えたい。白川さんが望月さんを呼んだ理由は、“人殺し”の道具に反対する報道を続ける彼女に深く共感したからだろう。