農夫歌と喪輿ソリ2021年12月28日 21:43

望恨歌(その5) 続く狂言は『二人袴』。婿入りの挨拶に出向く息子が不調法で袴を着けておらず、父親が自らの袴を貸し与えて婚家の門口で帰りを待ちますが、見知っていた太郎冠者に見つかり、舅から呼ばれてしまいます。一枚の袴を親子がかわるがわる付けては難を逃れますが、二人一緒にと請われて、やむおえず袴を二分して前だけ隠す仕儀となります。天籟能の同人奥津健太郎さんが後見として見守る前で、長男健一郎さんの聟役が勝手の違う対面風景を若々しく演じました。後半の能が別れの悲劇なら、こちらは出会いの喜劇という対照的な演目を並べた工夫です。
 第一部の最後は農楽。能の一声ではありませんが、やはりあの先導する太平簫(テピョンソ)の響きが入ると音楽が大きく拡がります。コロナ禍で“囃す”声は掛けられませんが、自然に身体が揺れてきます。代表的な演目「五方陣クッ」が狭い能舞台で躍動する様子は今後もなかなか見られないことでしょう。安聖民さんの唄もいつもながら素晴らしく農楽に声の花を咲かせます。パンソリ『春香歌』にも出てくる農謡“サンサソリ”は“さんさ”踊りへの繋がりを感じます。
 最近、日本語の原郷は中国東北部の農耕民のことばだったという国際研究チームの発表があったばかりですが、芸能を通じた交流は歴史を紐解く貴重な機会です。

能は超システムに働きかける2021年12月28日 21:45

望恨歌(その6) 『望恨歌』の第6回ワークショップには作者である免疫学者多田富雄氏の「スーパーシステム」の話が出てきました。“変容する「自己」に言及しながら自己組織化する動的な仕組み”を理解するのは難しいのですが、たとえばある公演を観終わった後の身体(と意識)が、観る前と微妙に異なっていると感じられることそのものが、“生命”のダイナミックな変化だとは考えられないでしょうか。それは、単に感動が記憶されるということではなく、小さな細胞が外的な刺激に対して賦活することの集合のようなものであって、興奮して眠れなくなるというのも、その一つでは無いかと勝手に想像します。“能”は数ある伝統芸能の中でも一際その効果が強いのでしょう。だからなのか、槌宅さんの“笛”の音がいつも震えながら身体に染み込むように感じるのです。