隣国の民主主義は2018年09月19日 13:45

 映画館で上映後にしばらく席から立てなかったのは久しぶりだ。様々な想いが交錯して整理がつかなかった。映画の後半ぐらいから、繰り返し涙が出てきて、心が揺さぶられるような時間を過ごしたからかもしれない。
 朝一番の上映時間に間に合わせるため、早めに起きて菊名駅まで歩き新宿三丁目を目指した。新宿シネマートで『1987、ある闘いの真実』を観た。周りに少しずつ評判は聞こえて来たが、ちょっと落ち着いてから観に行きたかった。映画としての完成度云々を語ることはできない。これはそういう映画ではないような気がする。
 誤解を恐れずに言えば、この映画は一種のプロパガンダでもある。韓国の民主主義はこうやって作ってきたという歴史の事実に多くを依って語った作品なのだ。しかし、その依る事実の重さは、想像ができないほどのエネルギーと犠牲と闘いの結果であることは、既に明らかになっている。ただ、韓国勉強会で最初に読んだ文京洙氏の『現代韓国史』で背景だけは知っていても、それを取り上げ巧みに映像化した作品を見せられれば、やはり心揺さぶられる。そして、朴槿恵大統領を弾劾にまで追い込んだ韓国の市民にとっては、その政治的態度の原点をあらためて確認できた映画でもあるのだろう。
 この映画を今、異様な精神が社会を覆う時代の日本人が観ることになるのも運命なのだろうか。過去に“併合”された隣国が今、自らの手で勝ち取った民主主義のモデルを当時宗主国に生きた人間の子や孫にあたる私たちに見せている。決して声高にではない。しかし、自身を持って語っている。それをどのように受け止めるかが試されているようだ。
 ひとつだけ内容に触れる。それは若者二人の死に寄せる思いの強さだ。それが、学生を動かし、新聞を動かし、市民を動かした。当時、テレビは「全大統領は…」から始まるテンヂョンニュースを流していた。それを打ち砕いたのは新聞のスクープだった。その死を伝える報道を、多くの人の怒りと共感が支えたはずだ。過日の総裁選討論で石破茂候補は近畿財務局職員の自殺に触れた。彼を自死に追い込んだものは拷問ではなかったが、その死に寄せる思いを語ることは政治家としての最低限の礼儀だろう。そして、私たちもそれをいつまでも忘れないことだ。二人目の死者を出さないためにも…。