念頭に置く必要 ― 2018年09月01日 13:26

久しぶりに早く起きた。先約があってイベントそのものへは参加できないので、始まる前のわずかな時間に少しでも雰囲気を味わいたかった。その場所は公共交通の便が良くない。なぜならば広大な墓地の一角にあるからだ。あらかじめインターネットで乗換ルートを調べ、横浜線・横須賀線と市営バスを乗り継いで向かった先は、久保山霊堂に近いある「慰霊之碑」である。
30分に1本のバスを降りて“碑”へ向かうと、既にテントや献花台の設営など追悼会の準備が行われていた。制服姿の生徒もいる。受付で事情を話し一足早く“碑”の前で追悼させてもらった。95年前のこの日、正午頃に発生した大地震は横浜市内に甚大な被害を及ぼしたが、その翌日から、流言飛語に基づく“治安維持”を目的として結成された自警団組織を中心に“朝鮮人”への虐殺が行われた。被害者数は2千名とも云われる。久保山に仮埋葬された3千名を超える身元不詳の横死者に詳しい記録はない。
2008年に開かれた政府中央防災会議の報告書は「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷事件を誘発した例は、日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と認めた。しかし、東京都の小池都知事は、自民党都議の歴史を無視した質問をきっかけに、一昨年まで出していた墨田区横網町公園で行われる追悼式典への追悼文を今年も送らなかった。
こうして、歴史は隠蔽されてゆく。「念頭に置く必要」があると認めなければならないほどの「人為的な殺傷事件」が自然災害に伴って起きた背景に思いを致し、そこから学ばなければ、同様の事件が今後も起きないという保証はどこにもない。虐殺が行われた堀割川に架かる橋は、磯子区で生まれた私の通学・通勤経路にあって、繰り返し通り過ぎた場所だったが、そこであった事件を知ったのは近年である。遅ればせながら、思いを致し「念頭に置く」ための追悼を行った次第だ。
30分に1本のバスを降りて“碑”へ向かうと、既にテントや献花台の設営など追悼会の準備が行われていた。制服姿の生徒もいる。受付で事情を話し一足早く“碑”の前で追悼させてもらった。95年前のこの日、正午頃に発生した大地震は横浜市内に甚大な被害を及ぼしたが、その翌日から、流言飛語に基づく“治安維持”を目的として結成された自警団組織を中心に“朝鮮人”への虐殺が行われた。被害者数は2千名とも云われる。久保山に仮埋葬された3千名を超える身元不詳の横死者に詳しい記録はない。
2008年に開かれた政府中央防災会議の報告書は「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷事件を誘発した例は、日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と認めた。しかし、東京都の小池都知事は、自民党都議の歴史を無視した質問をきっかけに、一昨年まで出していた墨田区横網町公園で行われる追悼式典への追悼文を今年も送らなかった。
こうして、歴史は隠蔽されてゆく。「念頭に置く必要」があると認めなければならないほどの「人為的な殺傷事件」が自然災害に伴って起きた背景に思いを致し、そこから学ばなければ、同様の事件が今後も起きないという保証はどこにもない。虐殺が行われた堀割川に架かる橋は、磯子区で生まれた私の通学・通勤経路にあって、繰り返し通り過ぎた場所だったが、そこであった事件を知ったのは近年である。遅ればせながら、思いを致し「念頭に置く」ための追悼を行った次第だ。
浮標の脚韻 ― 2018年09月01日 17:14

北千住へ行ってきた。大きな街だが今まで駅から出た記憶は無い。列車を乗り換えたことが数回あったろうか。荒川の手前ということもあって横浜から向かうと東京の最北のような印象がある。もちろん江戸四宿の一つだから、その昔は本当に江戸の北端であり、芭蕉の「奥の細道」では事実上の出発点となった。その北千住にある「BUoY」(ブイ:浮標)というアートスペースの地下で演劇の公演が開催された。5ヶ月前に早稲田で観たことがある劇団“あはひ”の「ソネット」という舞台である。
批評家の吉田健一が訳したシェイクスピアの十四行詩から着想を得て、その形式を現代演劇の舞台に置き換えてみたらどうなるのか。それは英詩の「翻訳」を一種の批評だと述べた吉田健一の言葉を、身体言語によって流れる時間で批評してみせるということなのだろうか。4人の登場人物が韻を踏むように入れ替わり立ち替わり中央に設(しつら)えたテーブルの両脇の椅子に座っては、相手を推し測りつつ言葉を交換するように会話を交わす。共感や同情や愛の言葉も何だか形式の内にあるように思えた。
一番最初に、テーブルの上の徳利と盃で差しつ差されつが始まった時、なぜか連歌を思い浮かべたが、暗転もなく柱を回るだけのシーン代わりが続いた最後、隅田川を渡った彼岸を照らす月だけが残って、もう連想するものは何も無い。そんな終わり方だった。ちなみに、舞台になっているアートスペースの地下には、公衆浴場の跡が残っていて、水も無いのにそこには確かに川が流れていた。
君を夏の一日に喩へようか。
(シェイクスピア ソネット18番冒頭 吉田健一訳/『葡萄酒の色』岩波文庫より )
批評家の吉田健一が訳したシェイクスピアの十四行詩から着想を得て、その形式を現代演劇の舞台に置き換えてみたらどうなるのか。それは英詩の「翻訳」を一種の批評だと述べた吉田健一の言葉を、身体言語によって流れる時間で批評してみせるということなのだろうか。4人の登場人物が韻を踏むように入れ替わり立ち替わり中央に設(しつら)えたテーブルの両脇の椅子に座っては、相手を推し測りつつ言葉を交換するように会話を交わす。共感や同情や愛の言葉も何だか形式の内にあるように思えた。
一番最初に、テーブルの上の徳利と盃で差しつ差されつが始まった時、なぜか連歌を思い浮かべたが、暗転もなく柱を回るだけのシーン代わりが続いた最後、隅田川を渡った彼岸を照らす月だけが残って、もう連想するものは何も無い。そんな終わり方だった。ちなみに、舞台になっているアートスペースの地下には、公衆浴場の跡が残っていて、水も無いのにそこには確かに川が流れていた。
君を夏の一日に喩へようか。
(シェイクスピア ソネット18番冒頭 吉田健一訳/『葡萄酒の色』岩波文庫より )