等身大の絵本の価値 ― 2025年10月31日 17:57
菊名の個人出版社三輪舎より『さいしょのにんげん』という題名の絵本が出たので、過日購入して読了しました。ネット上のあちらこちらで既に評判になっているようなのですが、何がどう良いのかには、ほとんど触れられていないところが、ある意味、今の時代を表しているようにも思え、何だかもやもやとした気分が募っています。そこで、あえて個人的な感想を述べてみたいという野暮な気持ちが生まれてしまいました。以下、簡単な感想を記します。
聞き知ったことによれば、制作にはずいぶんと長い期間をかけて、多くの推敲や検討がなされたようですが、それがほとんど感じられないように、話は坦々と、実に坦々と進んでいきます。ある男の子の一日が夢をめぐるように朝から夜まで描かれていて、そこかしこに、一見乱雑に見える様々な表象が“ごった煮”のように現れます。
何よりこの絵本に特徴的なのは、いわゆる“メディア”が出てこないことです。朝日が差してベッドから起き上がる表紙に象徴されるように、そこにはまず、“からだ”があって、その延長線上に様々なできごとが積み上がっていきます。子供の“からだ”は、時に他の“からだ”と交差しながら、世の中を動き回るのですが、ところどころで五感の働きが描かれるのです。
子供が人間社会という大きな現実に関わっていく様子が、遊びから買い物・家族まで、それぞれに“問い”や“対話”を通して経験していく形で書き継がれ、その果てには、人間そのものへの関心に向かうところまで広がります。
その昔、甥っ子に贈った何冊もの本はいずれも「物語」ベースのものだったので、子育ての経験のない私にとっては、この本が子供にどう受け止められるのかは想像外です。制作に関わった人たちの育った時代が、既に私の子供時代とは大きく変わっているだけになおさらです。ただ、この、いかにもそれらしい装丁の絵本を一言で言い表すとしたら、「等身大」という言葉が最もふさわしいと考えています。それが難しい時代になっていることの裏返しなのかもしれません。
聞き知ったことによれば、制作にはずいぶんと長い期間をかけて、多くの推敲や検討がなされたようですが、それがほとんど感じられないように、話は坦々と、実に坦々と進んでいきます。ある男の子の一日が夢をめぐるように朝から夜まで描かれていて、そこかしこに、一見乱雑に見える様々な表象が“ごった煮”のように現れます。
何よりこの絵本に特徴的なのは、いわゆる“メディア”が出てこないことです。朝日が差してベッドから起き上がる表紙に象徴されるように、そこにはまず、“からだ”があって、その延長線上に様々なできごとが積み上がっていきます。子供の“からだ”は、時に他の“からだ”と交差しながら、世の中を動き回るのですが、ところどころで五感の働きが描かれるのです。
子供が人間社会という大きな現実に関わっていく様子が、遊びから買い物・家族まで、それぞれに“問い”や“対話”を通して経験していく形で書き継がれ、その果てには、人間そのものへの関心に向かうところまで広がります。
その昔、甥っ子に贈った何冊もの本はいずれも「物語」ベースのものだったので、子育ての経験のない私にとっては、この本が子供にどう受け止められるのかは想像外です。制作に関わった人たちの育った時代が、既に私の子供時代とは大きく変わっているだけになおさらです。ただ、この、いかにもそれらしい装丁の絵本を一言で言い表すとしたら、「等身大」という言葉が最もふさわしいと考えています。それが難しい時代になっていることの裏返しなのかもしれません。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2025/10/31/9826763/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。