良くわからないけれど何かが気になる2024年12月14日 17:34

一昨日で地元の日本語教室の今学期が終了しました。最後に外国人の日本語学習者から、それぞれ挨拶をしてもらいましたが、彼らの“わからないもの”を学ぼうとする意欲に少しでも応えなければと強く感じた次第です。
 自分自身を省みれば、工業高校を卒業し就職したばかりの頃は、世の中のことが何もわかりませんでした。そのわからないものをわからないなりに知ろうとして通ったのが名画座です。通勤鞄には「ぴあ」といくら読んでもよくわからない「朝日ジャーナル」が入っていました。音楽のことが分からなくてFM放送で民族音楽を聴いていたのもこの頃です。まぁ、この年になっても「伝統芸能」といういまだに良くわからないものを聴いているのですから、あまり変わりませんが…。
 日本語学習ボランティアとして外国人の若い人たちと対するとき、よくわからないままに学び続けてきたものが、何かつながりを持って見えてくることがあるのに気がつきます。それは、たとえば、過日観に行った安部公房展のところどころで、これは何だかよくわからないけれど気になるという知見が、後で何かにつながる予感を感じさせることと似ています。そういう積み重ねがあってこそ、初めて学習支援というものも成り立っていると考える年の暮れです。

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