精神的な未熟の蔓延 ― 2025年01月21日 16:59
過日、早朝6時に目が覚めました。時々繰り返しては観る昔の職場の夢は、いつも何か差し迫った問題に直面していることが多く、そこから逃げるようにして目を覚ますことがお決まりのパターンになっています。急な依頼の指名があったり、逆に勤務線表に名前がなかったりと、わけもわからず当惑しているうちに覚醒し、今はそうしたことから自由なのだと自覚してほっとします。
しかし一方で、現実社会の方は心が真綿で締め付けられていくようなニュースばかりです。思えばいろんなことから逃げてきた人生ですが、さすがに国や社会から逃れるすべはありません。留学生にもこの国のこれからに安易な期待は抱かないようにと釘を刺すぐらいが関の山です。
このところ、「ポジティブウォッシュ」という言葉をよく耳にします。何事においても本質的な問題に向き合うことなく“問う”ことを避けて“前向きに”生きるのは、絶望的な状況から逃れるための心理的な防衛規制でもあるのでしょうが、あたかも天変地異が過ぎ去るのを待つばかりの原始人にも見えます。
一方で、「ネガティブケイパビリティ」という言葉も良く聞くようになりました。不確実な状況、未解決の問題に際し、受容しつつ耐える能力とも呼ぶべきものですが、そこには、“そもそも”その状況がもたらされている原因を探るような動きが感じられません。
つまり、いずれも“因って来たる”ところへ向かう視座がないままに、対症療法的な文脈で語られることが多いように思います。別の例えで言えば、「大学全入時代」と言われる時代にあっても、未だリベラル・アーツの基本さえ教えられず、社会人としての精神的な自立がおぼつかない。そして、それを促すような言葉が、この国にはなさすぎます。“自由人”たるべき主権者教育がまるで行われていないことともつながっています。これでは、生成AIに解決方法を求めることがあたり前という時代も近いでしょう。
しかし一方で、現実社会の方は心が真綿で締め付けられていくようなニュースばかりです。思えばいろんなことから逃げてきた人生ですが、さすがに国や社会から逃れるすべはありません。留学生にもこの国のこれからに安易な期待は抱かないようにと釘を刺すぐらいが関の山です。
このところ、「ポジティブウォッシュ」という言葉をよく耳にします。何事においても本質的な問題に向き合うことなく“問う”ことを避けて“前向きに”生きるのは、絶望的な状況から逃れるための心理的な防衛規制でもあるのでしょうが、あたかも天変地異が過ぎ去るのを待つばかりの原始人にも見えます。
一方で、「ネガティブケイパビリティ」という言葉も良く聞くようになりました。不確実な状況、未解決の問題に際し、受容しつつ耐える能力とも呼ぶべきものですが、そこには、“そもそも”その状況がもたらされている原因を探るような動きが感じられません。
つまり、いずれも“因って来たる”ところへ向かう視座がないままに、対症療法的な文脈で語られることが多いように思います。別の例えで言えば、「大学全入時代」と言われる時代にあっても、未だリベラル・アーツの基本さえ教えられず、社会人としての精神的な自立がおぼつかない。そして、それを促すような言葉が、この国にはなさすぎます。“自由人”たるべき主権者教育がまるで行われていないことともつながっています。これでは、生成AIに解決方法を求めることがあたり前という時代も近いでしょう。
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