コンビニで年賀状の印刷2022年01月02日 21:52

新年あけましておめでとうございます。
 今年の年末年始は波乱含みで過ごしています。風をこじらせて鼻水が止まらず、喉が嗄れて咳が続きます。さいわい、嗅覚・味覚には異常がなく熱も出ていません。とりあえず、オミクロン株の感染・発症とは関係がないようです。
 持ち主の体調不良に同調したのか、年賀状などの作成に10年来使ってきたプリンタがヘッド詰まりを起こしました。肝心の“黒”文字が大幅に欠けてしまいヘッドクリーニングを繰り返すも症状は変わりません。障害対策は後日にして、コンビニのマルチコピーを使うことにしました。ネットであらかじめ事前準備の情報を読んでからにしようと検索をかけているうちに、ふと気になりました。冒頭の年賀の挨拶に白川フォントを使っていたのです。PDFファイルのフォントは置き換えられる可能性があるので、この二文字だけは、赤だけの印刷がまだ可能な自宅で追記することにしました。
 使ったコンビニは昨年8月に能舞台のチケットを発券して以来でしたが、2階のイートインスペースに置いてあるコピー機でゆっくりと確認しながら作業ができたのは助かりました。やはり、何かあったときに助かることはあるのだと、半分デジタル化した都市生活にずっぽりはまっている自分を意識することになりました。
 今年もよろしくお願いします。

外に拡がる絵本2022年01月07日 21:14

年明け早々に耳鼻咽喉科を訪ね、鼻づまりと咳で最悪だった体調がようやく回復してきました。少し落ち着いたところで、暮れに買った絵本を観ながら思ったことを少し書くことにします。
 書名は『海峡のまちのハリル』(三輪舎)。すべてを製本会社で完成させず、横長シールや“切手”などを人力で本体に貼るという“手間”をかけた作りになっています。その作業は、妙蓮寺の本屋生活綴方の奥座敷(?)で行われましたが、当然のことながら一冊一冊が違った体裁です。もちろん、通常の書店にも流れていくわけですが、購入者は少しずつ顔の違った“小包”を受け取ることになります。
 この絵本の舞台は東西世界の接点にあるイスタンブール。かつてはオスマントルコの首都だった海峡の街です。その街に住む少年たちと彼らを取り巻く伝統的な“手業”の仕事を紹介します。エブルと呼ばれる伝統絵画と製作に用いられる紙、そして画材などが、目抜き通りから少し離れた路地の裏でひっそりと作り続けられていて、それらを買い集めることが一枚の“絵”を作る最初の工程であるかのように描かれるのです。
 鉛筆で書かれただけの絵は最初暗く感じますが、ページが進むにつれて、それがあまり知られていない世界を表す工夫のようにも思えてきました。何より、この印刷に含まれる“銀色”が鉛筆で描いた絵そのもののように光ってみえるのです。
 ふと、気になって、これを太陽光の明るさで読んでみたらどうなるのかと思い付きました。案の定、まるで違った世界がそこには生まれます。これは部屋から“表”に出ることを促す絵本なのでしょう。たとえ、変色したとしても、それは日光を吸収して変わった結果です。巣ごもりから一歩踏み出せば、綴じられた一枚の“エブル”のような、どこにもない自分自身の世界が広がるにちがいありません。

Web版年賀状2022年01月08日 21:19

松の内が明けたので、昨年に引き続きWeb版の年賀状を出します。

無聊を慰める味2022年01月14日 21:24

昨年の12月までオンラインで続けていた国際交流ラウンジの日本語教室。昨日、久しぶりに対面レッスンを実施しましたが、学習者の希望もあって来週から再度Zoomによるオンラインに切り替えることにしました。Withコロナの時代に安心できる環境の目安が定められず、手探り状態で進むしかないのはわかりますが、PCR検査一つとっても様々な条件付けをして抑制している限り、いつまで経っても出口が見つかる気配はありません。とりあえず、学習者から贈られたチョコレートをつまみに、ハンドドリップで淹れた珈琲を飲みながら、無聊をなぐさめる日を続けています。

俗世から離れるTVアニメ2022年01月20日 21:38

Twitterで知ったTVアニメ『平家物語』を録画して観ています。第2話は白拍子「祇王」を中心に、栄華が少しずつ変移していく物語の基層を丁寧に描いていて見事です。
 その昔、深夜急行に乗って京都を訪ねたことが何度もありましたが、行くところはいつも人の少ない静かなところばかりでした。中でも、京福電鉄で出町柳から鞍馬経由で貴船神社、四条大宮から嵐山経由で祇王寺という二つの道行きがお気に入りでした。
 今でも、俗世から離れられる場所を探してみたい気持ちが残っています。