匿名の言葉が広げる虚妄 ― 2018年10月03日 13:54
自分自身が育った時代から大きく変わった世の中のせいなのか、この歳になっても(いや、この歳だからか)近頃当惑することが多い。日本語レッスンの合間に留学生と交わした会話に出てきた話題を、後刻にネットで検索してみると、時折、まさかそんなことがあるのかと思うほど驚かされる。つまり、いくつもの虚妄がネット上に広範囲に撒き散らされているということだ。今更という感想を持つ人も多いのかもしれないが、こうした状態が当たり前だとしたら、そしてそれを異常なことだと思わなくなっているのだとしたら、この世界は、私も若い頃から時々手にしたディストピア小説そのままの、仮構の社会ということになる。
一方、それとは別の違和感をところどころで目にすることも多くなった。意見が異なる話題についての極端な忌避である。たとえば、内容の如何を問わず現政権を批判する意見そのものに反感を抱く人達が増えている。意見や感想を異にする議論自体を避けようとすることで、あるかどうかもわからない、何か見えない連帯感を繋ぎ止めたいのだろうか。当然のことに話題は広がらないし、議論も深まらない。
若い留学生が世代も関心も異なる私のような“おじさん”と話していて、一体何が面白いのかは正直良くわからないところがある。ただ、一つだけ言えるのは、意見や感想を異にすることが会話・対話の障害にはなっていないということだ。お互いを個人として遇する最低限の信頼関係がそこにはあると思う。
今回の沖縄県知事選挙で、ありもしないデマや中傷、選挙違反まがいの恫喝や強制が行われたきらいがあると新聞が報じているが、そこには“意見を異にすることへの信頼”がない。それは個人を個人として遇する関係がそこにないからだ。翁長知事が東アジアにおける新しい沖縄像を経済の活性化を含めて実現したことを県民の多くは知っている。だからこそ、政府与党の“暴風”を受けてもなお、玉城デニー氏は当選したのだ。彼は沖縄県民を個人として信頼していた。そこにこそ意味があるし、そこからしか始まらない。
もう、匿名の言葉に左右されるのはやめよう。
一方、それとは別の違和感をところどころで目にすることも多くなった。意見が異なる話題についての極端な忌避である。たとえば、内容の如何を問わず現政権を批判する意見そのものに反感を抱く人達が増えている。意見や感想を異にする議論自体を避けようとすることで、あるかどうかもわからない、何か見えない連帯感を繋ぎ止めたいのだろうか。当然のことに話題は広がらないし、議論も深まらない。
若い留学生が世代も関心も異なる私のような“おじさん”と話していて、一体何が面白いのかは正直良くわからないところがある。ただ、一つだけ言えるのは、意見や感想を異にすることが会話・対話の障害にはなっていないということだ。お互いを個人として遇する最低限の信頼関係がそこにはあると思う。
今回の沖縄県知事選挙で、ありもしないデマや中傷、選挙違反まがいの恫喝や強制が行われたきらいがあると新聞が報じているが、そこには“意見を異にすることへの信頼”がない。それは個人を個人として遇する関係がそこにないからだ。翁長知事が東アジアにおける新しい沖縄像を経済の活性化を含めて実現したことを県民の多くは知っている。だからこそ、政府与党の“暴風”を受けてもなお、玉城デニー氏は当選したのだ。彼は沖縄県民を個人として信頼していた。そこにこそ意味があるし、そこからしか始まらない。
もう、匿名の言葉に左右されるのはやめよう。