戦後80年の私的述懐2025年09月01日 17:37

 まもなく「敗戦」から80年を迎えます。私は天邪鬼(あまのじゃく)な性格で、8月15日前後の特集番組で流れる“玉音”放送の空虚な響きを繰り返し聴かされてきたせいか、随分前から敗戦記念日は降伏文書に署名した9月2日だと考えるようになりました。実際、この調印式の内容は配信され、世界的にはこの日が対日戦争の終結を意味します。
 私が生まれた1955年は「もはや戦後ではない」と記された経済白書発行の前年ですが、物心がつくようになった頃でも戦争の影は所々に残っていました。テレビの『快傑ハリマオ』や漫画の『紫電改のタカ』などはその一例です。
 その後、中学1年時に観覧した「原爆展」と就職後に読んだ『中国の旅』・『民の論理・軍の論理』が大きな衝撃として記憶に残っています。この二つは、後に広島を初めて訪れた時に、呉と岩国を併せて回ってみようと考えた動機になりました。
 テレビ番組を観たのがきっかけで、被爆者の高橋昭博さんとの交流が始まり、広島へは都合4回ほど行っています。いつも、残された者の“責任”を感じる旅でした。それは、昭和天皇が戦争責任について問われ、「言葉のアヤ…文学方面は」と応えた態度と真逆です。
 抑圧的な戦時体制の下で生きた時代の人々にとって、「戦後」は過去から決別するための言葉だったのでしょうが、一方で、アジア各地で現地住民を虐殺し(沖縄も含む)、出征兵士を戦病死と餓死に追い込み、「特攻」で無謀な人命軽視を行ったことに正面から向き合う人はほとんどいませんでした。だからこそ、「過ちは繰返しませぬから」という言葉の、“因ってきたる”歴史的な事実に遡って考えることがほとんどないのでしょう。
 私が日本語の学習を支援するアジア各国の若者たちは、基礎教育の中で「戦前」の大日本帝国が行った蛮行について詳しく聞いています。彼らは何も言いませんが、マグサイサイ賞を受賞したジブリの宮崎駿さんが語ったように、それを私たち日本人が忘れて良いということではありません。本当の「戦後」は、あの時代への痛切な悔悟を通じてアジアの人々と交流する中からしか生まれないと今も思います。

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