追悼の能と謡 ― 2024年11月04日 17:13

前記事の続き。第2部は能『柏崎』。鎌倉幕府体制下で訴訟のために永く鎌倉へ留め置かれた柏崎殿(御家人?)の訃報と、その息子“花若”の遁世(出家)を、ワキの家来が柏崎で待つ妻(シテ)へ知らせるところが前場です。前シテは早々に出場しており、笛柱の前で待っています。家来が形見の品を入れた打飼袋と手紙をそれぞれ順番に渡しながら事情を語り、妻がその最後の様を聞き取るという段取りです。話はそれから急展開して後場へ移ります。
あはれ狂女となった妻は柏崎を出て、古代から女人救済の信仰で知られる信濃の善光寺へ向かうのです。狂女に笹は付きものですが、道行では肩にかけ、着いてからは手元に下げていたようです。女人禁制の内陣に入るのを住僧(ワキツレ)が止めますが、阿弥陀仏の救済を説く狂女に気圧されます。この後、夫の形見の烏帽子直垂(えぼしひたたれ)を舞台上で着けて舞うのですが、この変化が非常に劇的です。形見を如来に参らせる(届ける?)という詞章の言葉もありますが、これは当時の風習として、死後に往生するために女性が男の姿に変わって成仏することに繋がっているのかもしれません。
物着で人が変わったように端正な舞が続いた後、住僧がもしやと連れてきた子方が息子“花若”だったところから、思わぬ邂逅に我を取り戻した狂女が我が子を抱きしめて芝居は終わります。
演目が終わり、登場人物に続き囃子方が退場しても、まだ地謡だけは残っていました。見所から微かな話し声が起きる中、銕仙会の山本順之師への追悼の一節がこの日の舞台で謡われました。能楽界ならではの慰霊の方法なのでしょう。
あはれ狂女となった妻は柏崎を出て、古代から女人救済の信仰で知られる信濃の善光寺へ向かうのです。狂女に笹は付きものですが、道行では肩にかけ、着いてからは手元に下げていたようです。女人禁制の内陣に入るのを住僧(ワキツレ)が止めますが、阿弥陀仏の救済を説く狂女に気圧されます。この後、夫の形見の烏帽子直垂(えぼしひたたれ)を舞台上で着けて舞うのですが、この変化が非常に劇的です。形見を如来に参らせる(届ける?)という詞章の言葉もありますが、これは当時の風習として、死後に往生するために女性が男の姿に変わって成仏することに繋がっているのかもしれません。
物着で人が変わったように端正な舞が続いた後、住僧がもしやと連れてきた子方が息子“花若”だったところから、思わぬ邂逅に我を取り戻した狂女が我が子を抱きしめて芝居は終わります。
演目が終わり、登場人物に続き囃子方が退場しても、まだ地謡だけは残っていました。見所から微かな話し声が起きる中、銕仙会の山本順之師への追悼の一節がこの日の舞台で謡われました。能楽界ならではの慰霊の方法なのでしょう。
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