“難民”譚としての『氷男』 ― 2024年08月01日 16:05

地元の日本語教室も7月下旬から長い夏休みに入りました。その間、普段はできない少し難しめの課題を試す意味もあって、3回ほど行うオンラインの補習には文学作品を取り上げています。昨年はサン・テグジュペリの『星の王子さま』、その一部分を読んでコミュニケーションにおける言葉と身振り・素振りについて語り合いました。今年はもう少し踏み込んで、村上春樹の小説『氷男』を読んでいます。
高校の国語教科書(「探求 文学国語」)にも採り上げられた怪異譚ですが、“南極語”なる言語まで出てきて、短いながら様々な解釈が生じる作品になっています。なにせ、“氷男”というぐらいだから夏にはうってつけですし、『聊斎志異』や『雨月物語』のように世の不思議・不条理を感じて、読めば少しは涼しくもなろうというものです。
一方で、社会の片隅にいて、その存在を知られているにも関わらず世間的な交流が無いところは、一種の国内“難民”にようにも見えます。90年代初頭に書かれた作品の背景はまだSNSなどのネット世界が拡がっていなかった時代ですが、マス・メディアにも採り上げられることなく忘れられていった“氷男”は、まるで都市伝説を描いた物語にも思えてしまいます。
高校の国語教科書(「探求 文学国語」)にも採り上げられた怪異譚ですが、“南極語”なる言語まで出てきて、短いながら様々な解釈が生じる作品になっています。なにせ、“氷男”というぐらいだから夏にはうってつけですし、『聊斎志異』や『雨月物語』のように世の不思議・不条理を感じて、読めば少しは涼しくもなろうというものです。
一方で、社会の片隅にいて、その存在を知られているにも関わらず世間的な交流が無いところは、一種の国内“難民”にようにも見えます。90年代初頭に書かれた作品の背景はまだSNSなどのネット世界が拡がっていなかった時代ですが、マス・メディアにも採り上げられることなく忘れられていった“氷男”は、まるで都市伝説を描いた物語にも思えてしまいます。
弘法の浪曲 ― 2024年08月03日 16:09

猛暑が続いている中、久しぶりに朝から都心に出向きました。乗ってしまえば乗り換え1回で行ける浅草はそれなりに行きやすい場所ではありますが、近年の円安で大量に訪れる観光客に加え、土・日ともなると日本人も多数押し寄せる一大観光地になっています。人混みと陽射しをできるだけ避けるルートを探すのも一苦労です。
訪ねたのはいつもの木馬亭。玉川奈々福さんが新作を舞台にかける「おはようライブ」が開かれるのを一昨日に知りました。採り上げられた演目は「東渡 弘法(とうと ぐほう)」という鑑真和上の物語。まことの授戒を教えてもらおうと聖武天皇から来日を切望され、五度に渡る航海の失敗を超え、失明してなお渡航を完遂したお上人の日本に着いてからのお話しを、外題付けから道行きまで浪曲の様々な節に乗せて語ります。相三味線は広沢美舟さん。衝立でお顔は拝見できませんでしたが、掛け声は豊子師匠にますます似てきたような印象があります。
この話、実は日中の伝統芸能の交流から生まれた企画の一部となっていて、公演はこの秋中国で3ヵ所、11月に東京で開催が予定されています。全体の内容としては、中国での上人の事績を中国の伝統芸能が、渡航の部分に日本の狂言が加わり、到着後を浪曲で締めるという日中共同の構成です。ただ、今回の浪曲部分だけ聴いてみても、この国が数多くの渡来人によってもたらされた豊かな文化の恩恵を受けてきたことを改めて感じました。今回の素晴らしい試みに感服しています。
訪ねたのはいつもの木馬亭。玉川奈々福さんが新作を舞台にかける「おはようライブ」が開かれるのを一昨日に知りました。採り上げられた演目は「東渡 弘法(とうと ぐほう)」という鑑真和上の物語。まことの授戒を教えてもらおうと聖武天皇から来日を切望され、五度に渡る航海の失敗を超え、失明してなお渡航を完遂したお上人の日本に着いてからのお話しを、外題付けから道行きまで浪曲の様々な節に乗せて語ります。相三味線は広沢美舟さん。衝立でお顔は拝見できませんでしたが、掛け声は豊子師匠にますます似てきたような印象があります。
この話、実は日中の伝統芸能の交流から生まれた企画の一部となっていて、公演はこの秋中国で3ヵ所、11月に東京で開催が予定されています。全体の内容としては、中国での上人の事績を中国の伝統芸能が、渡航の部分に日本の狂言が加わり、到着後を浪曲で締めるという日中共同の構成です。ただ、今回の浪曲部分だけ聴いてみても、この国が数多くの渡来人によってもたらされた豊かな文化の恩恵を受けてきたことを改めて感じました。今回の素晴らしい試みに感服しています。
戦慄の為のネットワーク ― 2024年08月05日 16:18

猛暑の中、昨日は近場にある妙蓮寺の本屋・生活綴方へ出かけました。昨年暮れに聴いた小林豊さんのお話し以来のトークイベントです。「遠野物語からはじめる」と題して話すのは、遠野在住のプロデューサー兼踊り手である富川さんという若き語り部と、民俗学のポッドキャストを開いている岸澤さん。現在、この本屋で開かれている『本当にはじめての遠野物語』(遠野出版)原画展に合わせての開催となりました。
柳田國男が青年佐々木喜善から聞き取った遠野地方の怪異譚を集成した『遠野物語』は、後の民俗学の進展にもつながる名著ですが、山中にありながら南部の要衝でもある盆地に伝わるこの昔語りは、今もその地で暮らす人々にとっては異界につながる道のような存在なのかもしれません。
越後長岡出身で東京の広告会社に勤めていた富川さんが、地域文化に光を当てようと移り住んだ遠野で、地域史研究者との出会いをきっかけに“物語り”の世界に引き込まれ、ついには鹿踊りの踊り手となるまでの経緯と、その異界と共存するような土地の魅力をどのように域外へ発信していくのかが語られました。土地柄の影響もあるのでしょうが、彼の語り口には代理店の営業マンのようなトレンドワードを使ったプレゼン臭はありません。ただ、日々異界と繫がっているような山深い街の姿を“平地人”に伝えるための工夫が強く感じられました。それは、もしかしたら新しい“戦慄”を生み出すヒントになるものかもしれません。
井上ひさしが新釈を施したり、京極夏彦がRemixしたりと、『遠野物語』は繰り返し作家に採り上げられてきました。もちろん、現地でも大平さんを始めとした土地の言葉による語り部も健在でしょう。ただ、その一方で、小盆地宇宙という特色ある地域空間が、各地方に健在し続けるための新しいネットワークが求められるような時代になってきたとも言えそうです。だからこそ「遠野物語から“はじめる”」なのでしょう。
柳田國男が青年佐々木喜善から聞き取った遠野地方の怪異譚を集成した『遠野物語』は、後の民俗学の進展にもつながる名著ですが、山中にありながら南部の要衝でもある盆地に伝わるこの昔語りは、今もその地で暮らす人々にとっては異界につながる道のような存在なのかもしれません。
越後長岡出身で東京の広告会社に勤めていた富川さんが、地域文化に光を当てようと移り住んだ遠野で、地域史研究者との出会いをきっかけに“物語り”の世界に引き込まれ、ついには鹿踊りの踊り手となるまでの経緯と、その異界と共存するような土地の魅力をどのように域外へ発信していくのかが語られました。土地柄の影響もあるのでしょうが、彼の語り口には代理店の営業マンのようなトレンドワードを使ったプレゼン臭はありません。ただ、日々異界と繫がっているような山深い街の姿を“平地人”に伝えるための工夫が強く感じられました。それは、もしかしたら新しい“戦慄”を生み出すヒントになるものかもしれません。
井上ひさしが新釈を施したり、京極夏彦がRemixしたりと、『遠野物語』は繰り返し作家に採り上げられてきました。もちろん、現地でも大平さんを始めとした土地の言葉による語り部も健在でしょう。ただ、その一方で、小盆地宇宙という特色ある地域空間が、各地方に健在し続けるための新しいネットワークが求められるような時代になってきたとも言えそうです。だからこそ「遠野物語から“はじめる”」なのでしょう。
“語り”の豊穣な世界 ― 2024年08月10日 16:21

炎暑の中、今日は桜木町まで出かけました。桜木町と言っても“みなとみらい”ではなく、その反対側の野毛にある地区センターの会議室で、語りのワークショップが開かれたのです。主宰は横浜ボートシアター、講師はその代表である吉岡紗矢さんです。参加者には演劇経験のある劇団関係者も含まれていて当初予想していた以上に専門的なワークショップでした。
身体ほぐしから始まり、姿勢や呼吸法、声の響かせ方、響きを意識する場所、鼻濁音の表現、そして語りかけや物語世界の広がりなど。日常の役割から離れ、言葉がイメージする世界に寄り添いながら、自分自身が普段使っていない奥底の声を出してみることで、“語り”の世界に一歩踏み込んでみる貴重な体験でした。こうした身体に直接つながる“語り”の経験をしてみると、ネイティブとして外国人に母語を紹介する場合にも、客席や見所などで種々の芸能を観る場合にも、言葉の“音”が持つ豊穣な世界をより感じることができるような気がしてきます。
明日は日本語教室のオンライン補習。“語り”の響きを学習者と共に確かめられる9月が待ち遠しい気分です。
身体ほぐしから始まり、姿勢や呼吸法、声の響かせ方、響きを意識する場所、鼻濁音の表現、そして語りかけや物語世界の広がりなど。日常の役割から離れ、言葉がイメージする世界に寄り添いながら、自分自身が普段使っていない奥底の声を出してみることで、“語り”の世界に一歩踏み込んでみる貴重な体験でした。こうした身体に直接つながる“語り”の経験をしてみると、ネイティブとして外国人に母語を紹介する場合にも、客席や見所などで種々の芸能を観る場合にも、言葉の“音”が持つ豊穣な世界をより感じることができるような気がしてきます。
明日は日本語教室のオンライン補習。“語り”の響きを学習者と共に確かめられる9月が待ち遠しい気分です。
多彩な比喩と多様な解釈 ― 2024年08月12日 16:23

昨日、夏休みのオンライン補習の2回目を開きました。「氷男」の読解の続きです。採り上げるきっかけになったのが文学国語の教科書なので、そこには「学習の手引き」なる問題文も追加されているのですが、教科書編者の問題意識とは関係のない読み方(つまり自ら問いを立てること自体)にこそ、小説を読む醍醐味はあると考えています。
そこで、1回目は不思議な対象、社会的に見えない存在としての“氷男”そのものに焦点を当てましたが、2回目はその特徴について少し掘り下げてみることにしました。
学習者から「氷男」はいきなり大人になったようだという感想がありました。とても面白い指摘です。主人公の“私”のことは遠い昔の話まで知っているとあるのに、「氷男」自身は過去を持たないという。想像を拡げれば、“私”の過去を知り得るのは面前にいる人間の記憶を辿る“能力”が「氷男」にはあるからでしょう。氷結している心の奥を溶かして見通す力でしょうか。そして、身体的に深い他者との体験が人の中に記憶を深く刻みつけていくものならば、「氷男」にそれが無いのは、そうした体験を持つことなく絶対的な孤独の内に生きてきたからだとも言えます。皆外出して閑散としているスキー場ホテルのロビーや冷凍倉庫はそうした彼の過去を象徴しているのかもしれません。
他にも「南極」にまつわる様々な感想や意見などが出ましたが、次々に出てくる比喩の数々によって人それぞれに自由な解釈が生まれるところは、この短い小説の大きな魅力だと感じます。まさしく、それが世界中で読まれる理由の一つなのでしょう。
久しぶりにいろいろと読み直していますが、今は手元に『レキシントンの幽霊』はないので、アメリカ編集版の『めくらやなぎと眠る女』を手に取っています。
そこで、1回目は不思議な対象、社会的に見えない存在としての“氷男”そのものに焦点を当てましたが、2回目はその特徴について少し掘り下げてみることにしました。
学習者から「氷男」はいきなり大人になったようだという感想がありました。とても面白い指摘です。主人公の“私”のことは遠い昔の話まで知っているとあるのに、「氷男」自身は過去を持たないという。想像を拡げれば、“私”の過去を知り得るのは面前にいる人間の記憶を辿る“能力”が「氷男」にはあるからでしょう。氷結している心の奥を溶かして見通す力でしょうか。そして、身体的に深い他者との体験が人の中に記憶を深く刻みつけていくものならば、「氷男」にそれが無いのは、そうした体験を持つことなく絶対的な孤独の内に生きてきたからだとも言えます。皆外出して閑散としているスキー場ホテルのロビーや冷凍倉庫はそうした彼の過去を象徴しているのかもしれません。
他にも「南極」にまつわる様々な感想や意見などが出ましたが、次々に出てくる比喩の数々によって人それぞれに自由な解釈が生まれるところは、この短い小説の大きな魅力だと感じます。まさしく、それが世界中で読まれる理由の一つなのでしょう。
久しぶりにいろいろと読み直していますが、今は手元に『レキシントンの幽霊』はないので、アメリカ編集版の『めくらやなぎと眠る女』を手に取っています。