五輪と聖書の欺瞞 ― 2024年08月12日 16:26
8月10日、多くの住民が避難しているガザ市内の学校をイスラエル軍が空爆した。国際法を踏みにじり、パレスチナ人を根絶やしにするようなジェノサイドを続けるこの国の首相が、イエスの誕生を耳にしてダビデの街の幼子を虐殺したヘロデ王に重なって見える。私は元々無神論者だが、キリスト教徒というものは、この惨状を前にして一体何を考えているのかを深く疑っている。
長崎市が平和祈念式典にイスラエルを呼ばなかったことを「政治的に利用した」などと言って欠席したアメリカを始めとするG7各国(日本政府は静観)の大使たちは、国際法の観点からみてロシアのウクライナ侵攻とどう違うのかを説明できるのだろうか。
もとより、ロシアもイスラエルも共に呼び、核兵器を後ろ盾にした信仰ならぬ侵攻の“過ちを繰り返さない”ようにと意識させることはできたかもしれないが、パリの別の“祭典”同様、一方的な“正義”に基づいて判断されるダブルスタンダードの世論の方は、明日をも知れずに生き続けなければならない人には決して向かわない。
それとも、彼らはイエスが辿った歴史のように、パレスチナの人々もまた、エジプトへ逃げれば良いとでも考えているのだろうか。
長崎市が平和祈念式典にイスラエルを呼ばなかったことを「政治的に利用した」などと言って欠席したアメリカを始めとするG7各国(日本政府は静観)の大使たちは、国際法の観点からみてロシアのウクライナ侵攻とどう違うのかを説明できるのだろうか。
もとより、ロシアもイスラエルも共に呼び、核兵器を後ろ盾にした信仰ならぬ侵攻の“過ちを繰り返さない”ようにと意識させることはできたかもしれないが、パリの別の“祭典”同様、一方的な“正義”に基づいて判断されるダブルスタンダードの世論の方は、明日をも知れずに生き続けなければならない人には決して向かわない。
それとも、彼らはイエスが辿った歴史のように、パレスチナの人々もまた、エジプトへ逃げれば良いとでも考えているのだろうか。
戦災に偏する“夏”の報道 ― 2024年08月22日 16:29

私的メモ(長文^^;)
日本語教室の夏休みに加え、RKKの留学生支援も彼らの都合でお休みとなり、時間が余ったのをさいわい、ここ数日録画していたテレビ番組をまとめて観ています。
順不同で並べると「昭和の選択 敗戦国日本の決断」・「NHKスペシャル グランパの戦争」・「同 最後の一人を殺すまで」・「映画 ダンケルク」などです。その他、再放送の「100分de名著 選 新約聖書福音書」の3週分まで観ました。
毎年8月になると1945年の敗戦に関連したドキュメンタリーや映画などが特集されます。その多くは、新たに確認された資料によって判明した歴史の再認識を提示するものでもあるのですが、昨年東京新聞に投書した通り、それらはあくまでも“敗戦”・“被害”という視点でまとめられたものがほとんどです。最近の傾向で言えば、取り扱われる時期も1941年以降の太平洋戦争以後に限られてきたように感じます。
それでも、注意深く観さえすれば、所々に当時の大日本帝国の軍部や政府の有様とその特徴を思い浮かべることはできるのです。占領という未曾有の経験を前に彼らが感じたことの一つは、彼ら自身が行ってきた蛮行をアメリカ軍もまた同じように行うのではないかという“自らの内にある怯え”からくる恐怖でした。全国に設置された占領軍の慰安所はその象徴です。一方で、戦時中の蛮行は外国人のみならず同国民にも及びました。サイパン島での戦いにおける住民について、参謀本部の席上、陸軍軍務局長は「女子供玉砕してもらい度(た)し 女子供自発的意志において 皇軍と共に戦い 生死苦楽を共にするになれば 誠に大和民族の気魂は 世界及び歴史に 示されることが願わしい」と言っています。もちろん、サイパン現地軍も住民に“玉砕”を指示しました。その結果、以後、日本人への強い警戒を露わにするようになった米軍に対し、住民を巻き込んだ地上戦を展開した沖縄で、多数の民間人が自軍によっても犠牲になったことはその延長線上にあります。
第二次大戦中、ヨーロッパ大陸からの一時撤退戦における兵員輸送において、イギリス軍が民間の小型船舶の来港を求めました。そこには“負傷兵を優先”して引き上げることに便乗した兵士も出てきますが、全体としてその数はわずかです。この徹底で30万を超える兵員が救出されました。一方、西太平洋では、島の端まで軍が住民を引き連れた結果、“玉砕”という美辞麗句に彩られた人命軽視の作戦行動により非戦闘員を含む甚大な戦死者が出ています。
そうした“敗戦”・“被害”の元をたどれば、大陸に侵攻し傀儡国家を作った前史があり、真珠湾攻撃と同時に進めたマレー半島周辺への侵攻もあります。それを少しでも知っておきたいと思いながら、録画視聴の傍らに読んでいるのが、その足りない部分を補う書籍です。また、原爆投下の目標にされた広島市で、主要な軍需施設が集中し大陸侵攻への出発点となった宇品ではなく、なぜ市内の中心部に落とされることになったのかという問題意識から始まったドキュメンタリーも読みました。縦割り軍政の元で、大陸上陸戦や民間船による兵站を指揮した主人公の生涯を語りながら、アメリカとの無謀な開戦の果てに国力をすり減らした象徴的な場所として宇品が描かれます。つまり、原爆を落とすに値するような重要な軍事施設は、1945年にはもうなくなっていたという冷厳な事実です。
日本語教室の夏休みに加え、RKKの留学生支援も彼らの都合でお休みとなり、時間が余ったのをさいわい、ここ数日録画していたテレビ番組をまとめて観ています。
順不同で並べると「昭和の選択 敗戦国日本の決断」・「NHKスペシャル グランパの戦争」・「同 最後の一人を殺すまで」・「映画 ダンケルク」などです。その他、再放送の「100分de名著 選 新約聖書福音書」の3週分まで観ました。
毎年8月になると1945年の敗戦に関連したドキュメンタリーや映画などが特集されます。その多くは、新たに確認された資料によって判明した歴史の再認識を提示するものでもあるのですが、昨年東京新聞に投書した通り、それらはあくまでも“敗戦”・“被害”という視点でまとめられたものがほとんどです。最近の傾向で言えば、取り扱われる時期も1941年以降の太平洋戦争以後に限られてきたように感じます。
それでも、注意深く観さえすれば、所々に当時の大日本帝国の軍部や政府の有様とその特徴を思い浮かべることはできるのです。占領という未曾有の経験を前に彼らが感じたことの一つは、彼ら自身が行ってきた蛮行をアメリカ軍もまた同じように行うのではないかという“自らの内にある怯え”からくる恐怖でした。全国に設置された占領軍の慰安所はその象徴です。一方で、戦時中の蛮行は外国人のみならず同国民にも及びました。サイパン島での戦いにおける住民について、参謀本部の席上、陸軍軍務局長は「女子供玉砕してもらい度(た)し 女子供自発的意志において 皇軍と共に戦い 生死苦楽を共にするになれば 誠に大和民族の気魂は 世界及び歴史に 示されることが願わしい」と言っています。もちろん、サイパン現地軍も住民に“玉砕”を指示しました。その結果、以後、日本人への強い警戒を露わにするようになった米軍に対し、住民を巻き込んだ地上戦を展開した沖縄で、多数の民間人が自軍によっても犠牲になったことはその延長線上にあります。
第二次大戦中、ヨーロッパ大陸からの一時撤退戦における兵員輸送において、イギリス軍が民間の小型船舶の来港を求めました。そこには“負傷兵を優先”して引き上げることに便乗した兵士も出てきますが、全体としてその数はわずかです。この徹底で30万を超える兵員が救出されました。一方、西太平洋では、島の端まで軍が住民を引き連れた結果、“玉砕”という美辞麗句に彩られた人命軽視の作戦行動により非戦闘員を含む甚大な戦死者が出ています。
そうした“敗戦”・“被害”の元をたどれば、大陸に侵攻し傀儡国家を作った前史があり、真珠湾攻撃と同時に進めたマレー半島周辺への侵攻もあります。それを少しでも知っておきたいと思いながら、録画視聴の傍らに読んでいるのが、その足りない部分を補う書籍です。また、原爆投下の目標にされた広島市で、主要な軍需施設が集中し大陸侵攻への出発点となった宇品ではなく、なぜ市内の中心部に落とされることになったのかという問題意識から始まったドキュメンタリーも読みました。縦割り軍政の元で、大陸上陸戦や民間船による兵站を指揮した主人公の生涯を語りながら、アメリカとの無謀な開戦の果てに国力をすり減らした象徴的な場所として宇品が描かれます。つまり、原爆を落とすに値するような重要な軍事施設は、1945年にはもうなくなっていたという冷厳な事実です。