能楽と仏教思想の展開 ― 2024年04月26日 13:20

昨日は、5月5日に国立能楽堂で開かれる「明之會」の演目『定家』に関連したもう一つの事前講座を聴講しました。能楽師加藤眞悟先生がシテを務めた前回の舞台映像を観ながら、詞章を解説するという趣向です。
 実は、能『定家』に藤原定家は出てきません。シテは定家が愛した式子(しょくし)内親王で、定家の彼女への妄執が墓を這い纏う(はいまとう)葛(かづら)になった“いわれ”が語られます。詞章の中には定家と式子の和歌はもとより、僧正遍照が詠んだ「雲の通ひ路」のモチーフなども入っていて、仏教でいうところの“邪淫”に落ちた二人の遣り取りが、うら寂しい晩秋の時雨を背景に進むのです。
 ワキである北国の僧の読経により一時的に解放された式子の舞は魂の高揚をもたらすものの、成仏するまでには至らずに、葛がからまる石塔へ戻ります。それは、はるか西方浄土へと向かう世阿弥の大成した夢幻能に対し、『定家』の作者である娘婿の金春禅竹が考えた“能の革新”だったのかも知れません。そこには人を救う観音の世界から、乱世鎌倉を経て生まれた新仏教にも繫がるような、「草木国土悉皆成仏」という、この国の自然と一体化した仏教思想への展開との関連が読み取れます。

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