お土産と珈琲2023年07月01日 20:39

日本語教室の外国人学習者は社会人なので、それぞれに関心の幅や活動範囲も広いのが普通です。この国のインバウンド需要への様々な対応は、現在日本で生活している彼女らにとっても関心の的だし、地方都市の生き残り施策に採り入れられている観光名所の特産物も数多くあります。それぞれに訪ねた場所で買ってきた名物をお土産として頂戴することがあり、その度にこちらも旅情をそそられるのですが、生来の出不精でなかなか足が向きません。いつもは返礼を込めた写真をメールで送りますが、過日、ようやく感染対策が緩んだレッスンで、ハンドドリップ抽出後に急冷したコーヒーを保温マグで持ち込み提供することができました。少しずつですが、日常が戻ってきた気分です。

日中伝統芸能の交流2023年07月25日 20:44

コロナ感染者数の全数把握を止めて定点観測で蔓延状況を確認するしか無くなった夏に猛暑が続いています。状況に応じたマスクの着用や熱中症対策となる飲料水の携帯など、“生活様式”は個人の判断にまかせられ、無策以上の苛酷な悪政を拡げる現政権に期待する声はもうとっくに途絶えたようです。
 さて、酷暑の日中を避けて、久しぶりに夕方から東京へ出かけました。向かったのは代々木上原にある梅若万三郎家の能舞台。普段は主に“研能”や稽古・講座などに使われる場所で、舞台の回りの座敷に50人程度の見所があります。この日開かれたのは「昆曲×狂言」と題した中日二つの古典芸能ワークショップ。和泉流狂言方の奧津健太郎さんが企画したものです。
 以前より交流のある中国古典芸能「昆曲」の趙津羽さんが来日するのを機に、二つの伝統演劇を比較しながら紹介する催しを開くことになりました。「昆曲」は中国で600年以上の歴史がある最も古い演劇形式で、後に隆盛する京劇に先立つ芸能です。京劇より装置がシンプルな分、演者の身体全体を使った感情表現がとても豊かです。
 「蘭花」と呼ばれる手指の形が美しい。いくつもある形を五指の組合せで様々に表現しますが、それを左右前後に入れ替えたり、大小の回転運動と併せて、登場人物の感情を表わします。また、豊かな表情の中で際立っているのは目の動きです。視線が動くのはもちろんのこと、微妙な瞼の開閉にも想いを込められます。さらに、そこに扇が加わって、直に対する相手や想う人への感情がより強調されたり、開いた扇の中骨を通して見るような仕草もありました。
 「昆曲」では、演者の役柄がほぼ固定されているようで、趙津羽さんの試演はいずれも16〜17歳の女性ですが、『牡丹亭』では深窓に育った娘、「紅梨記」では芸妓を演じ分けました。公演ではないので、単衣の衣装で芝居の化粧も施しませんが、その身体表現はとても素晴らしいものでした。
 話はそれますが、イベントの通訳を担当した日中交流協会の方の声が聞き取りにくく、能舞台から4mほどのわずかな距離なのに、その場に吸いとらているように声が小さく感じました。一方、演者であるお二人の声は全く問題なく届きます。実演よりは明らかに小さな声量にも関わらず、何故かクリアに響きます。普段から声を出す仕事とは言え、その“届かせ方”には専門家の芸の一端を感じました。

 先の投稿で狂言のことを書くのをすっかり失念していました。ワークショップということで、装束を付けない袴狂言を奧津健太郎・健一郎さん父子が演じています。演目は『杭か人か』。内弁慶の太郎冠者の本心を探ろうと留守を任せた主人が、物陰から留守番の様子を伺います。実は臆病者の太郎冠者は庭石も人に見えるほどの怖がりで、その様子は屋敷の外の暗がりが目に浮かぶほどです。藝大邦楽科にも通う健一郎さんの見事な仕草を間近に見ることができました。
 健太郎さんの方は『名取川』の小舞。健一郎さんの謡を背に、扇を笠に持ち替えての舞は、同じように両手で扱う槍や棒とも違い、能狂言の標準的な型に回転運動を加えたような滑らかさに満ちていました。これは能舞台でもう一度じっくり観てみたいものです。

玄関先のカブトムシ2023年07月29日 20:47

朝、古紙とプラスチックをゴミ捨て場に置きに行った帰り、玄関ドアのすぐ前に黒い物体が落ちているのを見つけました。とば口だったこともあって、出るときは気が付きませんでしたが、何やら大きな虫のよう。なんとカブトムシの雄です。
 近くに林もなく何故こんなところにいたのかはわかりません。酷暑に耐えかねて方向感覚が狂ったか。おかしな世の中に虫まで同調したのでしょうか。ともかく、拙宅で一休みしてもらい、残り物のキュウリを出しました。
 その昔、赴任先の九州佐賀のアパートにもアマガエルがやってきたことがあって、東京へ帰任した時も引き続き飼っていたことがありましたが、“生きもの”の面倒を見るのはやはり大変です。早々に新たな居場所を探してもらうべく、散歩がてら、丘の上の大倉山公園に移ってもらうことにしました。鬱蒼というにはほど遠い場所ですが、セミの鳴き声も響く涼しげな林の一角にある木の裏側に留まらせて戻ってきました。
 一休みして開いた今朝の朝刊には、『風の又三郎』を『又の風三郎』と間違って覚えていたカブトムシの斎藤さんが登場。そうか、あのカブトムシはもしかしたら斎藤さんだったのかもしれません。

君たちはどうするのか?2023年07月29日 20:50

一昨日、先々週末に公開されたスタジオジブリの『君たちはどう生きるか』を横浜ムービルへ観に行きました。公開前から関連情報が一切出なかったことで、二の足を踏んでいる人も多いのでしょうが、チラシ一枚さえ読まずに観るのが当たり前だった二十代の映画体験者としては何も特別なことではありません。ただ、ムービルという古い映画館の初回上映ということを差し引いても、観客数の少なさには少し驚きました。大手マスコミが触れることはないのでしょうが、従来の宣伝・広報を行わないこととあの“電通”がどのような関わり方をしたのか、していないのか。少し気になるところではありますが、そのあたりクレジットを見落としてしまったのでわかりません。
 劇場へ行って観て欲しいわけでしょうから、細かな内容には触れません。あのポスターにあるアオサギが狂言回しのような役で、“とりとめ”のない、それでいて壮大な物語が展開されます。ところどころに過去の作品やキャラクターを彷彿とさせる描写がジブリならではの細密な表現で次々に現れますが、なかにはアニメーションや映画へのオマージュを感じさせる設定もありました。
 先の戦争前後とおぼしき時代設定ではありますが、それは冒頭と最後にしか現れません。司馬遼太郎が“奇胎”と呼んだ時代とは関係なく、それが仮にどんな社会であったとしても何かを探して生き抜くためには、様々な苦難に立ち向かう強い気持ちが必要だろうということでしょうか。
 良くも悪くも世の中は続きます…。その為の処方箋はずっと描いてきたはずなので、後は自分で考えなさいという声がスクリーンから聞こえてくるようでした。