笑いに包まれた追悼の舞台2018年12月10日 15:04

 「寒月やさて行く末の丁と半」(変哲作)
 寒風の中、西へ沈む三日月に我が身を含む行く末を占ってみたくなるような夜だ。“変哲”こと小沢昭一さんが亡くなって、もう6年になる。先日、「日本の翻弄芸」と題した七回忌追善の興行が浅草で開かれた。出版社の編集担当として、また芸能界の後輩として、小沢昭一と親しく接し、葬儀では受付も担当したという玉川奈々福さんが企画したものだ。その葬儀会場で撮影された一枚の写真にジャンルの違う芸人三人が写っている。「小沢昭一を尊敬し、善男善女のココロを翻弄することを旨とする三人」が6年ぶりに集まった。上方落語の桂吉坊、スタンダップコメディの松本ヒロ、そして浪曲の玉川奈々福。それぞれの思いを込めた口演が、満員の木馬亭の観客を湧かせた夜だった。もちろん、それは小沢昭一あってのこと。舞台に飾られた遺影が、その一部始終を見届けていた。
 桂吉坊は「天王寺詣り」。犬の供養をしに四天王寺へ鐘を突きにゆく道すがら、境内に並ぶ露店の啖呵売や覗きからくり、阿呆陀羅経など様々な道の芸が聞こえてくるという筋。「放浪芸」を訪ね歩いた小沢さんの供養にはもってこいの演題だ。奈々福さんと二人会を続けていることは前から知っていたが、今回初めて聴くことができた。その童顔に似合わない多芸の達者から生み出される語りは見事という一語に尽きる。納得の一席だった。
 松本ヒロの語りも初めて聴く。大倉山記念館などでも時々演じているが、政治ネタを中心にした“オチョクリ漫談”とでもいうべき一人芸。次から次へと繰り出す言葉の洪水にいつのまにか引き込まれる。仮に話速を極端に落としてみたら、小沢さんの語り口にちょっと似ているのかもしれない。「ザ・ニュースペーパー」というコントグループ出身で、持ちネタの多くが社会諷刺に満ちているが、この夜ばかりは想い出語りが多かった。
 奈々福さんは「浪花節更紗」。小沢昭一の師にあたる作家正岡容(いるる)原作の一席だ。旅先で師匠に捨てられた主人公が、舞い戻った東京で魚河岸仕事の傍ら唸っていると、親切な鮨屋におかしな浪曲師を紹介される。弟子にしてもらったのは良かったが、実はこの師匠、けもの退治の噺しかできない前座も前座。しかし、ひょんなことで大看板に認められ、気の良い師匠の面倒を見ながらも精進を続けるうちに、別派の商売敵に意地悪されるほどの腕前になる。そして危機一髪を救うのが師匠の娘の曲師という筋立て。いわば浪曲師の成長譚である。私がこの演目を初めて聴いたのは豊子師匠が骨折をして急遽弟子の美舟さんが代役を務めた大倉山記念館の独演会だった。正岡容から小沢さんへ、豊子師匠から美舟さんへ。そして小沢昭一から奈々福さんへ。語り芸を伝え広げていく人達にとって、これ以上ふさわしい演目もないだろう。小沢さんはもちろん、福太郎師匠ほか亡き先達たちへの心意気が籠もっていて目頭が熱くなった。
 最後は、特別ゲスト矢野誠一氏を囲んでの鼎談。一通り、人となりの紹介があった後、木馬亭での貴重な録音も披露された。飄々として、語り芸の粋を取り出してみせる小沢さんが、豊子師匠の見事な音締めで語る「灰神楽三太郎」は、舞台の写真から抜け出したような存在感で客席を包み込んでいた。「世の流れをば見ておりまする」という講釈師の言葉に感銘を受けた小沢さんのことだから、この夜の口演をきっと聴いているに違いない。
 キリがないのでこの辺でお開き。 なにはさてあと幾たびの晦日蕎麦(変哲)

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