奇胎の時代に読む寓話 ― 2023年09月03日 20:57
2ヶ月ほど前のことになります。地元の日本語教室で支援している二人の学習者と初めて昼食を共にしました。一度メンバーでランチを一緒にという提案があり、春先から何度も計画しては延期していたものです。折角なので教室最寄りの菊名近傍で食べた後、妙蓮寺の書店を訪ねてみることにしました。駅からほど近い街の本屋「石堂書店」と「生活綴方」です。
絵はんこ展開催中の「生活綴方」を少し覗いてから「石堂書店」も訪ねると、週末に外国語の勉強会(?)を開いているジャグラーの青木さんたち綴方の店番メンバーが来店していて、中国語やベトナム語での簡単な挨拶が交わされました。鈴木店長にも日本語学習者へのお勧め本を紹介してもらったのですが、最終的に二人の学習者が選んだのは、あの『星の王子さま』(河野万里子訳・新潮文庫)でした。
ちょうど、日本語教室が7月下旬から夏休みに入ることもあり、2週に一度、オンラインで簡単な読書会を開いてみることになりました。40分制限のZoom個人アカウントを繋ぎ直し、全体で80分弱のレッスンを都合4回行いました。もちろん、その場で全部は読めませんから、この本の一つの主題でもある「対話」のセクションに限定して朗読・解釈・語彙確認などを進めます。わずかな時間でしたが、熱意のある学習者の反応に、私自身もおおいに学ぶところがありました。
サン=テグジュペリの分身とも言える“内なる”王子さまとの寓話は、様々な人間観察の話を除けば、シンプルな言葉の遣り取りの中に“目に見えない”大事な生き方の集合を語り継ぐ物語ともいえるでしょう。僕と王子さま。王子さまと花。王子さまとキツネ。それぞれにコミュニケーションの本来的な在り方を示唆する比喩に溢れています。学習者それぞれの母語にも翻訳があり、一人は既に読んでいました。私自身も通読したのは三度目になります。この本が世界中で読まれるなか、消滅危機にある少数者言語の副読本として各所で翻訳されているのは、この作品の基層に“信頼”があるからです。
言葉への信頼が地に墜ち、先の見えない“奇胎”の時代にあるこの国で、この本を選んでくれた日本語学習者の二人には、心から感謝しています。なお、寓話は次のように締めくくられました。
「でもそれがどんなに大事なことか、おとなには、ぜんぜんわからないだろう!」
絵はんこ展開催中の「生活綴方」を少し覗いてから「石堂書店」も訪ねると、週末に外国語の勉強会(?)を開いているジャグラーの青木さんたち綴方の店番メンバーが来店していて、中国語やベトナム語での簡単な挨拶が交わされました。鈴木店長にも日本語学習者へのお勧め本を紹介してもらったのですが、最終的に二人の学習者が選んだのは、あの『星の王子さま』(河野万里子訳・新潮文庫)でした。
ちょうど、日本語教室が7月下旬から夏休みに入ることもあり、2週に一度、オンラインで簡単な読書会を開いてみることになりました。40分制限のZoom個人アカウントを繋ぎ直し、全体で80分弱のレッスンを都合4回行いました。もちろん、その場で全部は読めませんから、この本の一つの主題でもある「対話」のセクションに限定して朗読・解釈・語彙確認などを進めます。わずかな時間でしたが、熱意のある学習者の反応に、私自身もおおいに学ぶところがありました。
サン=テグジュペリの分身とも言える“内なる”王子さまとの寓話は、様々な人間観察の話を除けば、シンプルな言葉の遣り取りの中に“目に見えない”大事な生き方の集合を語り継ぐ物語ともいえるでしょう。僕と王子さま。王子さまと花。王子さまとキツネ。それぞれにコミュニケーションの本来的な在り方を示唆する比喩に溢れています。学習者それぞれの母語にも翻訳があり、一人は既に読んでいました。私自身も通読したのは三度目になります。この本が世界中で読まれるなか、消滅危機にある少数者言語の副読本として各所で翻訳されているのは、この作品の基層に“信頼”があるからです。
言葉への信頼が地に墜ち、先の見えない“奇胎”の時代にあるこの国で、この本を選んでくれた日本語学習者の二人には、心から感謝しています。なお、寓話は次のように締めくくられました。
「でもそれがどんなに大事なことか、おとなには、ぜんぜんわからないだろう!」
鵺が飛び回る悪夢の時代 ― 2023年09月17日 21:16
不思議な夢を見ました。普段は起きてすぐに忘れてしまいますが、久しぶりに連続性のあるものだったので半覚醒の状態でもしばらくは内容を覚えていました。内容自体は他愛のないもので、何か見えない猛獣のようなものに追われ、木の上に登って逃げたり、隠れる場所を探して街をさまよったりします。うなされるほどではなかったのですが、見えない何ものかに追いつめられる切迫感がありました。
もしかしたら、ここ数日の“X”(旧ツイッター)の投稿記事の記憶がないまぜになっていたのかも知れません。読むたびに日一日と朽ちていくようなこの社会の有様がそこに展開している一方で、それがなぜか現実離れのように感じるのは、活計の必要がなくなった年金生活者に実社会との接点が乏しいからでしょうか。しかし、そこには何か実態の見えない、それこそ新型コロナウィルスの感染にも似た奇胎のような“空気”が蔓延しているような気がします。
そういえば、次回作の告知から17年。京極夏彦の百鬼夜行シリーズ『鵺の礎』がようやく刊行されたそうです。“鵺”が飛び回っている時代にふさわしい物語になっているのでしょうか。
もしかしたら、ここ数日の“X”(旧ツイッター)の投稿記事の記憶がないまぜになっていたのかも知れません。読むたびに日一日と朽ちていくようなこの社会の有様がそこに展開している一方で、それがなぜか現実離れのように感じるのは、活計の必要がなくなった年金生活者に実社会との接点が乏しいからでしょうか。しかし、そこには何か実態の見えない、それこそ新型コロナウィルスの感染にも似た奇胎のような“空気”が蔓延しているような気がします。
そういえば、次回作の告知から17年。京極夏彦の百鬼夜行シリーズ『鵺の礎』がようやく刊行されたそうです。“鵺”が飛び回っている時代にふさわしい物語になっているのでしょうか。
ソン・ランの響き ― 2023年09月17日 21:18
先週、久しぶりに関内の横浜シネマリンを訪ね、ベトナム映画祭と題した1週間の特集上映のうちの一本『ソン・ランの響き』を観てきました。ベトナム南部に今も残る大衆芸能「カイルン」(伝統劇トゥオンに西洋音楽などの要素を加えたことで「改良」という漢字語が名付けられた)の一座を舞台に、主演男優リン・フンと借金取りユンの間に繰り広げられる物語です。「ソン・ラン」とは木製の打楽器。中空の木の胴と木の玉を、折り曲げた金属片の両端に取りつけ、足で打ち付けて鳴らすカスタネットのような楽器です。
原題の「Song Lang」が“二人の男”という掛詞になっているので、象徴的な意味を込めて取り上げられていますが、この楽器の響きそのものは作品内であまり目立ちません。どちらかと言えば二弦月琴「ダン・グェット」の方がベトナム語の独特な撥音と相まって強く印象に残りました。演目の一つ『ミー・チャウとチョン・トゥイー』はベトナム古代王朝滅亡時の悲恋を描いたものですが、衣装や化粧、立ち居振る舞いなど、中国の京劇を舞台にしたチェン・カイコーの『覇王別姫』を彷彿とさせます。楚漢戦争とほぼ同時代ということも関係しているのでしょう。
二つの映画で、男二人の出会いや関係は異なりますが、芸能の継承という特殊な状況は共通します。そして、それぞれに残酷な結末が用意されているところに、その異世界が持つ厳しさの一面を感じます。“ジャニーズ”騒動で性加害の問題がクローズアップされている現代ですが、芸能が持つ人と人の結びつきの微妙な関係は優れた批評性をもって語られてこそ意味があるものなのでしょう。そうでなければ、テレビのワイドショーのような茶番劇ばかりに堕してしまいます。
原題の「Song Lang」が“二人の男”という掛詞になっているので、象徴的な意味を込めて取り上げられていますが、この楽器の響きそのものは作品内であまり目立ちません。どちらかと言えば二弦月琴「ダン・グェット」の方がベトナム語の独特な撥音と相まって強く印象に残りました。演目の一つ『ミー・チャウとチョン・トゥイー』はベトナム古代王朝滅亡時の悲恋を描いたものですが、衣装や化粧、立ち居振る舞いなど、中国の京劇を舞台にしたチェン・カイコーの『覇王別姫』を彷彿とさせます。楚漢戦争とほぼ同時代ということも関係しているのでしょう。
二つの映画で、男二人の出会いや関係は異なりますが、芸能の継承という特殊な状況は共通します。そして、それぞれに残酷な結末が用意されているところに、その異世界が持つ厳しさの一面を感じます。“ジャニーズ”騒動で性加害の問題がクローズアップされている現代ですが、芸能が持つ人と人の結びつきの微妙な関係は優れた批評性をもって語られてこそ意味があるものなのでしょう。そうでなければ、テレビのワイドショーのような茶番劇ばかりに堕してしまいます。
魂を呼び戻す復曲能 ― 2023年09月18日 21:21
先月、銕仙会の能楽教え方講座を受けに表参道へ行くため、久しぶりに電車を乗り換えた渋谷駅ですが、今日は能を観るために、反対のJR側へ出ました。ScrambleSquareとやらの入口は目新しく映りましたが、長いエスカレーターの先にあるJR南口周辺は未だに改装工事の最中で何か変な懐かしささえ覚えます。
駅の周囲はそれほど変わりませんが、国道246号線を越える歩道橋は以前の倍ぐらいの幅に拡張されていました。向かう先は国道沿いのセルリアンタワー地下にある能楽堂。登ったり降りたりが続きます。
さて、本日の演目は『不逢森(あわでのもり)』という復曲能。尾張名古屋に近い旧鎌倉街道の宿場町「萱津」に伝わる物語です。江戸初期ぐらいから上演されなくなったとされる演目ですが、故事にも歌われる土地に根付いた悲話を立体的に再構成した不思議な作品です。
あらすじは次の通り。鎌倉の商人が京に上りますが旅程を過ぎても帰ってきません。心配した娘が会いに行こうと訪ねますが、尾張の宿で客死してしまいます。そのすぐ後、今度は父が宿を訪ねて娘の死を知り、遺骸との対面を望みますが、既に荼毘に付された後でした。嘆き悲しむ父親に娘を弔った僧が提案します。この日はちょうど8月15日の満月、大陸渡海して入手した反魂香で娘の霊を呼び覚ませるという話になりました。香台を前に僧が祈ると煙の中に娘の姿が現れますが、わずかな逢瀬にすがり付こうとする父を置いて、娘は露と消えてしまいます。
復曲への比較的自由な解釈・演出もあり、昨年の名古屋初演とはシテツレとワキが役を交代しましたが、『隅田川』から構想されたとも思われる親子の逆縁がより強調されていたように思えます。冒頭、次第に続いてワキの名乗りが加えられ、その後にシテ(娘)が舞台に、シテツレ(父)が橋掛かりの端(揚げ幕のすぐ前)に立ち、時に同時に、時に一人ずつ詞章を語るのです。同じ角度で見所に向かってユニゾンで謡うところは見事な作劇になっていると感じました。
アイ二人(宿主のオモアイと下女のアドアイ)が囃子方に続いて既に登場・着席していますが、客死する娘や、訪ね来た父との遣り取りも多く、いわゆる間狂言という枠に収まらない重要な登場人物として描かれます。特に、娘が事切れる瞬間に立ち会う場面は秀逸でした。
宿に着いた時から娘の体調は悪く、挨拶もそこそこに奥の間へ通されますが、舞台に用意されている木枠の中に入ります。事切れた娘を残したまま白布がかけられた木枠から、物着(ものぎ)の一種のように着ていた小袖が取り出され遺骸として弔われます。後に木枠の中から後シテが登場する演出です。
“あわで”の森に山居する僧が用意した反魂香は後見が舞台の階(きざはし)の目前に置いたので、正面席の見所からは目の前に煙が立ち上っているように思えます。僧は回り込んで見所に向かって念仏を唱えますが、その位置から捌(は)けることで、煙が見所から舞台奥の木枠に流れて行くように感じるのです。そして月夜の明かりの中、後シテが登場します。後シテの位置は木枠のすぐ近く、すなわち反魂香の薄煙を通して、木枠にかかった白布に映り出された3Dの写像のようにも見えました。だからでしょうか。姿を確かめた父親が香台と後シテの間の空間を必死に抱こうとしてもかないません。後に娘の小袖にすがりつこうとする場面もありますが、私はこの時の父の仕草に強い無念を感じました。
再々演なども含め、この演目がより多くの人に届くことが期待されます。公演はDVD化される模様です。
駅の周囲はそれほど変わりませんが、国道246号線を越える歩道橋は以前の倍ぐらいの幅に拡張されていました。向かう先は国道沿いのセルリアンタワー地下にある能楽堂。登ったり降りたりが続きます。
さて、本日の演目は『不逢森(あわでのもり)』という復曲能。尾張名古屋に近い旧鎌倉街道の宿場町「萱津」に伝わる物語です。江戸初期ぐらいから上演されなくなったとされる演目ですが、故事にも歌われる土地に根付いた悲話を立体的に再構成した不思議な作品です。
あらすじは次の通り。鎌倉の商人が京に上りますが旅程を過ぎても帰ってきません。心配した娘が会いに行こうと訪ねますが、尾張の宿で客死してしまいます。そのすぐ後、今度は父が宿を訪ねて娘の死を知り、遺骸との対面を望みますが、既に荼毘に付された後でした。嘆き悲しむ父親に娘を弔った僧が提案します。この日はちょうど8月15日の満月、大陸渡海して入手した反魂香で娘の霊を呼び覚ませるという話になりました。香台を前に僧が祈ると煙の中に娘の姿が現れますが、わずかな逢瀬にすがり付こうとする父を置いて、娘は露と消えてしまいます。
復曲への比較的自由な解釈・演出もあり、昨年の名古屋初演とはシテツレとワキが役を交代しましたが、『隅田川』から構想されたとも思われる親子の逆縁がより強調されていたように思えます。冒頭、次第に続いてワキの名乗りが加えられ、その後にシテ(娘)が舞台に、シテツレ(父)が橋掛かりの端(揚げ幕のすぐ前)に立ち、時に同時に、時に一人ずつ詞章を語るのです。同じ角度で見所に向かってユニゾンで謡うところは見事な作劇になっていると感じました。
アイ二人(宿主のオモアイと下女のアドアイ)が囃子方に続いて既に登場・着席していますが、客死する娘や、訪ね来た父との遣り取りも多く、いわゆる間狂言という枠に収まらない重要な登場人物として描かれます。特に、娘が事切れる瞬間に立ち会う場面は秀逸でした。
宿に着いた時から娘の体調は悪く、挨拶もそこそこに奥の間へ通されますが、舞台に用意されている木枠の中に入ります。事切れた娘を残したまま白布がかけられた木枠から、物着(ものぎ)の一種のように着ていた小袖が取り出され遺骸として弔われます。後に木枠の中から後シテが登場する演出です。
“あわで”の森に山居する僧が用意した反魂香は後見が舞台の階(きざはし)の目前に置いたので、正面席の見所からは目の前に煙が立ち上っているように思えます。僧は回り込んで見所に向かって念仏を唱えますが、その位置から捌(は)けることで、煙が見所から舞台奥の木枠に流れて行くように感じるのです。そして月夜の明かりの中、後シテが登場します。後シテの位置は木枠のすぐ近く、すなわち反魂香の薄煙を通して、木枠にかかった白布に映り出された3Dの写像のようにも見えました。だからでしょうか。姿を確かめた父親が香台と後シテの間の空間を必死に抱こうとしてもかないません。後に娘の小袖にすがりつこうとする場面もありますが、私はこの時の父の仕草に強い無念を感じました。
再々演なども含め、この演目がより多くの人に届くことが期待されます。公演はDVD化される模様です。
亡国への道筋 ― 2023年09月30日 21:31
今日は退職してちょうど10年の節目。定年退職後はのんびり過ごしたいという想いは、以下に挙げた2013年の秋から暮れにかけての自公政権の愚策の中に埋もれました。この10年間の国の壊れようはもう取り返しのつかないところまで来ています。最初の兆候にそれぞれ追記した3年前の状況よりも、さらに深刻です。2013年、20年、23年の経緯を並べました。
日米防衛指針再改訂 10月 3日
日米2+2 ->更なる軍事一体化 -> 統合司令部創設で国レベルの傭兵化
武器輸出解禁 10月 9日
三原則を見直す方針 ->武器輸出三原則撤廃 -> 殺傷兵器も輸出解禁
原発輸出推進 10月29日
トルコで建設合意 ->断念 -> 安全対策費の急騰で総崩れ
道徳教科化 11月11日
文科省の有識者会議 ->一昨年度から小・中で順次開始 -> ’24年度教科書で検定意見増加
国権拡張 12月 3日
大河「花燃ゆ」発表 ->全体平均で当時最低の視聴率 -> NHK帯ニュースの政府広報化
核燃料サイクル 12月 6日
経産省がエネルギー基本計画案で原発推進 ->未だに継続 -> 最終処分場の調査も頓挫
愛国心 12月10日
安全保障に盛り込み ->経済徴兵制検討 -> “人権”削除の改憲準備
共謀罪 12月11日
組織的犯罪処罰法検討 ->成立、盗難車事件に適用 -> 学術会議任命拒否の6人は異論
戦時予算 12月12日
税制大綱決定 ->消費税増税、法人税率年々低下 -> 43兆円の亡国予算がさらに膨張
特定秘密 12月13日
保護法公布 ->今年の改定で企業の利活用拡大 -> 自衛隊員による漏洩
国家安全保障戦略 12月17日
閣議で策定 ->大量の武器購入 -> 対米追従で武器ローン地獄
靖国参拝強行 12月26日
談話発表、米国政府は失望 ->続く閣僚参拝 -> 岸田首相は供物奉納を継続
沖縄基地移転 12月27日
仲井真知事が正式承認 ->工事強行、完成のめど立たず ->軟弱地盤で工費底なし
2014年末に当時史上最低の投票率となった衆議院選挙で、国民は自民党に圧倒的な勝利を与え、続く三度の衆議院選挙においてもそれより低い投票率で安倍・菅・岸田政権の亡国へとつながる酷政を放置しました。加えて、拝金主義による“公的”事業の中抜きと輸出大企業への消費税還付、汚染水放出の穴埋めなども続き、来月からのインボイス開始でいよいよ致命的な状況を招くのは必定です。
まぁ、それでも半数近い国民は何の痛みも怒りも感じないのでしょうね。大変な老後になりました。
日米防衛指針再改訂 10月 3日
日米2+2 ->更なる軍事一体化 -> 統合司令部創設で国レベルの傭兵化
武器輸出解禁 10月 9日
三原則を見直す方針 ->武器輸出三原則撤廃 -> 殺傷兵器も輸出解禁
原発輸出推進 10月29日
トルコで建設合意 ->断念 -> 安全対策費の急騰で総崩れ
道徳教科化 11月11日
文科省の有識者会議 ->一昨年度から小・中で順次開始 -> ’24年度教科書で検定意見増加
国権拡張 12月 3日
大河「花燃ゆ」発表 ->全体平均で当時最低の視聴率 -> NHK帯ニュースの政府広報化
核燃料サイクル 12月 6日
経産省がエネルギー基本計画案で原発推進 ->未だに継続 -> 最終処分場の調査も頓挫
愛国心 12月10日
安全保障に盛り込み ->経済徴兵制検討 -> “人権”削除の改憲準備
共謀罪 12月11日
組織的犯罪処罰法検討 ->成立、盗難車事件に適用 -> 学術会議任命拒否の6人は異論
戦時予算 12月12日
税制大綱決定 ->消費税増税、法人税率年々低下 -> 43兆円の亡国予算がさらに膨張
特定秘密 12月13日
保護法公布 ->今年の改定で企業の利活用拡大 -> 自衛隊員による漏洩
国家安全保障戦略 12月17日
閣議で策定 ->大量の武器購入 -> 対米追従で武器ローン地獄
靖国参拝強行 12月26日
談話発表、米国政府は失望 ->続く閣僚参拝 -> 岸田首相は供物奉納を継続
沖縄基地移転 12月27日
仲井真知事が正式承認 ->工事強行、完成のめど立たず ->軟弱地盤で工費底なし
2014年末に当時史上最低の投票率となった衆議院選挙で、国民は自民党に圧倒的な勝利を与え、続く三度の衆議院選挙においてもそれより低い投票率で安倍・菅・岸田政権の亡国へとつながる酷政を放置しました。加えて、拝金主義による“公的”事業の中抜きと輸出大企業への消費税還付、汚染水放出の穴埋めなども続き、来月からのインボイス開始でいよいよ致命的な状況を招くのは必定です。
まぁ、それでも半数近い国民は何の痛みも怒りも感じないのでしょうね。大変な老後になりました。