末世の大騒ぎ ― 2022年10月09日 23:29
最大高度970kmにまで“舞いあが”った北朝鮮のミサイルにはJアラートを発令し、日米合意の原則500f以下となる高度90mより低く飛ぶオスプレイは黙認する政府与党だけに、安倍国葬を非難するSNS投稿の8割が“隣の大陸(?)”からだという大ボラを吹く一方で、半島のカルト教団の出先には後援会名簿を渡すことなど歯牙にもかけないのでしょう。辺野古にまで行って幼児のような屁理屈を並べる某(なにがし)同様、世も末ですね。
甦る曽我物語の世界 ― 2022年10月09日 23:31
スマホの天気情報の通り、帰りは秋雨でした。三連休の中日に千駄ヶ谷の国立能楽堂へ一風変わった能を観に行ったのですが、これが思いのほかに大変面白い演目だったので、帰りの電車で思い出し思い出ししながらメモを書きました。今のところ(東京では?)再演の予定がないようですから思い切りネタバレで紹介します。もちろん、見所の素人ですから勘違いが多いかもしれません。
能の演目は「復曲能を観る会」が主催した『和田酒盛』ですが、第一部は、坂井孝一氏(鎌倉殿の13人考証)の話に続き、仕舞や狂言も、同時代の女性観を並べてみせるような趣向で、『巴』(ともえ)・『班女』(はんじょ)・『花筺』(はながたみ)に狂言『鬼瓦』と並びます。長刀(なぎなた)さばき、切迫した物狂いに加え、静謐な老境の姿と三様の舞の後、割れんばかりの大音声(だいおんじょう)で妻恋を泣き笑う大名が登場しました。見所を飽きさせない見事な番組です。
さて、肝心の『和田酒盛』ですが、『安宅』以来の現在能の観能は、今までと全く異なる様子で始まりました。開演早々、揚幕(あげまく)から囃子方に続き、シテツレ(虎御前)と二人のアイまでもが登場します。シテツレはワキ柱の前、オモアイ(虎ノ母)は小鼓の前、アドアイ(宿の家人)は橋掛かりで待機します。舞台は既に大磯宿の中にあります。
囃子方の一声を合図に登場するのはシテ(曽我十郎祐成)。しかも自ら名乗ります。仇討ち前に愛妾の虎への想いを語る橋掛かりでのシテの謡を受けるように、宿にいる虎御前がシオリ(泣く動作)をするのですが、扇を面から遠めに離し、今は離れているという距離感を感じさせる所作になっていました。
ワキ(和田義盛)も橋掛かりで名乗りを上げ、従者二人と宿へ入ります。仲介の家人はアドアイの奥津健一郎さんが見事に演じました。虎の母は義盛に酌(しゃく)をさせようと虎を呼びますが、十郎との逢瀬を果たした虎は聞きません。しかし、それが通るはずもなく、十郎と共に義盛の座に入ります。この遣り取りの前後、オモアイの台詞回しがとても強い声になっているのも劇的な効果を生んでいます。
そして、いよいよ思い差し(想う相手に盃を差し出す)場面。武士の面目が立つかどうかとなりますが、このあたりが坂東武者らしい純朴(?)なところで、虎が差し出した盃を十郎が呑み干すや、義盛の従者が刀に手をかけ舞台は切迫します。そこで朝比奈が二人の間に入って止めますが、この瞬間、舞台上が一幅(いっぷく)の絵になっていると感じました。私が江戸庶民ならこの場面を錦絵にして欲しいところです。
その後、駆けつけた五郎時致と朝比奈が組み合いますが、今度は十郎が間に入って止めると、成長した兄弟を許した義盛の前で先の二人は双舞(同じ舞を二人で舞う)を、最後は十郎も参加して“扇の形”を作りました。夢幻能と違うばかりか、西洋歌劇を思い起こすような演目で存分に楽しめました。
いつも思います。舞台は見所も含めて一期一会。だから劇評は大事です。そこで、忘れないうちにスマホへメモを残すのです。^^;
能の演目は「復曲能を観る会」が主催した『和田酒盛』ですが、第一部は、坂井孝一氏(鎌倉殿の13人考証)の話に続き、仕舞や狂言も、同時代の女性観を並べてみせるような趣向で、『巴』(ともえ)・『班女』(はんじょ)・『花筺』(はながたみ)に狂言『鬼瓦』と並びます。長刀(なぎなた)さばき、切迫した物狂いに加え、静謐な老境の姿と三様の舞の後、割れんばかりの大音声(だいおんじょう)で妻恋を泣き笑う大名が登場しました。見所を飽きさせない見事な番組です。
さて、肝心の『和田酒盛』ですが、『安宅』以来の現在能の観能は、今までと全く異なる様子で始まりました。開演早々、揚幕(あげまく)から囃子方に続き、シテツレ(虎御前)と二人のアイまでもが登場します。シテツレはワキ柱の前、オモアイ(虎ノ母)は小鼓の前、アドアイ(宿の家人)は橋掛かりで待機します。舞台は既に大磯宿の中にあります。
囃子方の一声を合図に登場するのはシテ(曽我十郎祐成)。しかも自ら名乗ります。仇討ち前に愛妾の虎への想いを語る橋掛かりでのシテの謡を受けるように、宿にいる虎御前がシオリ(泣く動作)をするのですが、扇を面から遠めに離し、今は離れているという距離感を感じさせる所作になっていました。
ワキ(和田義盛)も橋掛かりで名乗りを上げ、従者二人と宿へ入ります。仲介の家人はアドアイの奥津健一郎さんが見事に演じました。虎の母は義盛に酌(しゃく)をさせようと虎を呼びますが、十郎との逢瀬を果たした虎は聞きません。しかし、それが通るはずもなく、十郎と共に義盛の座に入ります。この遣り取りの前後、オモアイの台詞回しがとても強い声になっているのも劇的な効果を生んでいます。
そして、いよいよ思い差し(想う相手に盃を差し出す)場面。武士の面目が立つかどうかとなりますが、このあたりが坂東武者らしい純朴(?)なところで、虎が差し出した盃を十郎が呑み干すや、義盛の従者が刀に手をかけ舞台は切迫します。そこで朝比奈が二人の間に入って止めますが、この瞬間、舞台上が一幅(いっぷく)の絵になっていると感じました。私が江戸庶民ならこの場面を錦絵にして欲しいところです。
その後、駆けつけた五郎時致と朝比奈が組み合いますが、今度は十郎が間に入って止めると、成長した兄弟を許した義盛の前で先の二人は双舞(同じ舞を二人で舞う)を、最後は十郎も参加して“扇の形”を作りました。夢幻能と違うばかりか、西洋歌劇を思い起こすような演目で存分に楽しめました。
いつも思います。舞台は見所も含めて一期一会。だから劇評は大事です。そこで、忘れないうちにスマホへメモを残すのです。^^;