能舞台の古浄瑠璃2024年11月03日 17:11

一昨日は、夕方近くになってから小糠(こぬか)雨の降る中、表参道まで足を伸ばしました。東横線から東京メトロへの乗り換えは一駅なので、渋谷から歩きます。一昨日のハロウィーンにぶつからなくて良かったと思いきや、大学祭の影響なのか宮益坂から青山通りにかけては雑踏が続きました。
 ようやく辿り着いたのが銕仙会能楽研修所。この夏「能•狂言の教え方講座」でお世話になった会場です。本格的な能舞台の周りに畳敷きで五、六段の低い段差が作ってあって、そこに座布団を並べて見所にしてあります。定期的な公演も行っているようですが、この日はシテ方清水寛二さんの「響の会」という公演で、能『柏崎』という狂女ものの古典が取り上げられたのですが、その前段、第一部に行われたのも新潟県柏崎ゆかりの古浄瑠璃でした。
 この『弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)』は、のちに即身仏(そくしんぶつ)となったという上人の一代記で、国文学者の鳥越文蔵氏が大英博物館で丸本を見つけ、ドナルド•キーン氏が復活に尽力するなどした結果、一人遣(ひとりづかい)の文弥人形で古浄瑠璃を演じる越後猿八座の代表的な演目となりました。浄瑠璃語りは説教祭文でもお馴染みの渡部八太夫師ですが、文楽における舞台上手の張り出し床はありませんので、能舞台の地謡座に設けられた語りの座で、古式ゆかしく演じ分けます。
 猿八座の人形は一人遣いですから、馬に乗った人などは軽快に動きますし、人形そのものの“肉体的”接触も多くなります。3人遣いと比べれば、顔や手を含めた動作の細やかさは少し見劣りするのですが、登場している人形を群像劇風にとらえれば、語りに合わせた芝居の技巧が所々に観られます。おそらく、初見の演目であるほど、その効果は大きいはずです。能舞台の大きさもあっているようでした。とりあえずは、ここまで。

信仰以前の世界が示すもの2024年10月27日 17:08

お寺参りを続けています。といっても、本尊もろくに拝まずに、そこで開かれるイベントに参加しているだけなのですが…。開催時間を始めとする公的施設の制約も少なく、ご住職の関心のままに、比較的自由な環境で、様々な芸能の公演が、今“お寺”で開催されているのです。
 コロナ禍の前までも、広尾の東江寺で開かれる「寺子屋」には良く通っていました。能楽師安田登さんが主催して、多様なテーマの講演やワークショップが開かれていたからです。
 その後、人が集まる催しが次々に中止されてきたのと歩調を合わせるように、景気の後退を背景に集客ばかりを優先するイベントが増えていったような気がします。そうした中、芸能者自らが企画・主催することを考えた時に、たどり着いたひとつの答えが昔ながらの「寺子屋」だったのではないかと思うのです。同時に、先行き不安な時代にこそ「宗教」が社会に資する方便の一つとして、共に“学ぶ”場を提供することを多くの住職が考え始めたとしてもおかしくありません。
 と言うことで、一昨日は池上へ足を伸ばしました。訪ねたのは實相寺。本門寺のお聖人が隠棲した庵室があった場所だそうですが、池上駅から歩いて13,4分、長い直線道路に飽きたころ、本門寺方面に右折した正面にあります。上演されたのは『イナンナの冥界下り』。安田さん率いる“ノボルーザ”の精鋭が集まっての開催です。畳敷の大広間に舞台を設え、観客はその前の椅子に着席。上手脇の扉を揚幕のように開閉し、そこから演奏者と演者が現れます。演目はメソポタミア神話を能に翻案したような演劇で、台詞はシュメール語。音は日本語に似ていますが、ようやく文字化されたのは楔形という古代。まだ女性が主役だった時代です。その芝居を、面(おもて)ではなく人形を使って演じます。さらに、能の「翁」のように舞台上でそれを身につけるのです。そういえば、女神イナンナが翁、精霊たちが千歳、冥界の門番ネティが三番叟のようにも思えてきます。
 音楽も豊かです。異界への誘いのように琵琶が鳴るかと思えば、神々の登場に笙の独特な音色が添います。精霊の踊りには鋭いバイオリンの響きが重なり、太鼓はアメリカインディアンの踊りを彷彿とさせました。そららにキーボードの様々な音が被ります。豊かな音色を添えました。
 全体を暗くした広間を神主のような衣装に白足袋で歩く姿は、何やら「遷御」のようにも見えましたし、7つの神力「メ」を剥ぎ取られ鉤に吊るされた肉体は十字架のキリストにも似て、とても宗教的な意匠に彩られています。また、精霊が運ぶ「生命の植物」はノアの洪水後に鳩が咥えてきたオリーブを連想させました。
 最後、イナンナの復活劇は、川のような長い白布を持った登場人物全員の退場で締めくくられるのですが、能の橋がかりとは逆に、上手すなわち東方へ向かう冥界からの再生を意味しているようにも感じました。豊穣を予祝するような芸能を古代人はビールを飲みながら観ていたような記録もあるそうで、観終わった後の満足感に帰路が近くなった気分でした。

「はて?」と問い続けたドラマ2024年10月25日 17:04

『虎に翼』が終わってしまいました。朝ドラを通して観たのは、カミさんの勧めで再放送された全編を観た『ちりとてちん』を除けば、はるか昔に遡ります。最後まで続いたのは、毎日ではなく、週末にまとめて放送する番組編成があってのことだったかもしれません。
 日本国憲法14条を柱に、法律の救いの手が十分に届かない問題を取り上げ、戦前から戦後にかけて生きた一人の女性法律家を主人公とし、数多くの示唆に富むエピソードで練り上げた傑作だったと思います。
 録画した画面のスタッフロールに懐かしい名前が出るのを楽しみに、週明け最初の回では、七七の字句から始まる米津玄師の主題歌をリモコン操作で飛ばすことなく聞き続けたことも、稀有(けう)のことでした。
 3年前の『ミステリーと言う勿(なか)れ』で初めて知った伊藤沙莉の熱演もさることながら、親友から義姉となる花江や、大学女子部4人の同窓生、そして母のはるや娘の優未など、それぞれの個性が際だつ女性たちによる、新しい群像劇を観るような心持ちで、なかでも、花江という女性を寅子と対称に置いた設定は、演じた森田望智(みさと)の演技もあって、とても印象深いシーンを残したと思います。
 「はて?」という「問い」の言葉が、様々な非合理や不条理に覆われた現状をあぶり出す寅子(ともこ)の真骨頂を表わすものであると同時に、彼女自身が見失ってしまいがちな普通の人々の想いを紡ぎ出す脚本の妙がまた見事です。「法の下に平等であって」という14条の字句を具体的な人間関係に広げた解釈とそこに声を上げ続けることの大変重い意義は、最終回にも間違いなく表現されていました。
 忖度に溢れた広報ばかりのニュースをよそに、このドラマが多くの視聴者の心に響いたことは疑いようがありません。時あたかも、検察と警察によって捏(ねつ)造された証拠で冤罪に問われた袴田さんに、無罪の再審判決が下りました。“司法”と名乗るからには、捏造した者らこそが裁かれなければならないでしょう。野間宏が書いた『狭山事件』(岩波新書上下巻)を読んで、権力が個人を陥(おとしい)れることの恐ろしさに一睡もできなかった夜を思い出しながら、声を上げ続けることを主題とした今回のドラマの素晴らしさをあらためて噛みしめています。

人間くさい造形を目指した俳優の死2024年10月18日 17:02

名優西田敏行氏が亡くなられました。日本を代表する俳優の一人であることは異論の余地の無いところなのですが、千変万化にキャラクターを演じ分けてきたことで、かえって代表作が何かと訊かれたら、百人百様の答えが返ってくるような気がします。猪八戒に始まり、『池中玄太80キロ』・『釣りバカ日誌』・大河ドラマ(徳川将軍から両西郷まで)など、数々のテレビドラマや映画でその特異な存在感を示してきました。
 私が最後に観たのはおそらく『俺の家の話』の能楽師だったと思いますが、いわゆる正統派スターとは違う、人間的な親しみを強く感じさせる人物造形で他を抜きん出ていたように記憶します。そのせいでしょうか。私の場合、一番思い出深い西田敏行像は42年前の『淋しいのはおまえだけじゃない』の取り立て屋に遡ります。このドラマは、市川森一が第1回の向田邦子賞を受賞した名作でもありますが、その成功の要因は、西田敏行が演じた「沼田」という“いかがわしい”人物の造形にありました。故小沢昭一さんの影響もあって、芸能の中にある“いかがわしさ”という要素が私には何より重要なのですが、若い頃からそれを感じさせてくれる俳優だったのではないかと考えるのです。
 そして、もう一本。こちらは私自身も映像技術で関わった単発ドラマ『山田が街にやって来た』。日英合作の作品ですが、西田敏行演じる日本語教師が“いかがわしさ”満載の主人公を演じています。
 両作品とも一筋縄ではいかない“複雑な”人物が描かれるわけですが、そうした人間性こそ、今最も失われつつある豊かさの本質を象徴しているもののような気がします。西田さんの死はそのことを痛切に感じさせるだけに、とても淋しいのです。

護摩としての芸能2024年10月13日 16:56

青物横丁という地名は随分と前から知っていたように思いますが行ったのは昨日が初めてです。京浜急行の駅が最寄りにあっても、私は東急沿線の住人なので大井町へ出て、そこから歩きました。徒歩で15分離れた場所は、鉄道の乗換案内には候補として出てきませんが、ネットの地図で見ればさほど遠くないことが一見してわかります。定期券を使わなくなると同時に、地図をよく眺めるようになった変化は、街歩きという別の楽しみを教えてくれました。
 さて、訪ねたのは青物横丁駅から至近の海雲寺というお寺です。三宝荒神の竈(かまど)神を祀っているところから、江戸時代以来町火消(まちびけ)しの信仰を集めており、護摩堂の天井にはその各組を象徴する纏(まとい)図なども描かれています。この一帯が品川宿でもあったところから、他にも様々な由緒があるのですが、その中に、寄席芸人からの奉納舞台が多く開かれたことが挙げられます。例えば、浪曲では二代目廣澤虎造、初代木村重松という大名跡もここで浪花節を唸(うな)りました。
 昨日は、その再現とでもいうような浪曲の公演があり初めて訪ねたという次第です。演者は玉川奈々福(「鹿島の棒祭」•「椿太夫の恋」)、広沢菊春(「新門と梅ヶ谷」)、前読みの天中軒かおり(「若き日の小村寿太郎」)の三人で四席。いずれも浪曲らしい演目です。護摩堂の中に設(しつらえ)られたテーブル掛けを前に、当寺和尚さんの“短い”護摩焚(ごまた)き儀式による幕開けも行われました。
 お菰(こも)さんに扮した新門辰五郎が見立てた相撲取り梅ヶ谷の話は、人は見かけによらないという時代物の定番とも言える筋ですが、菊春さんの虎造ばりに少し濁声(ダミごえ)が入った声調が良く合っていました。奈々福さんはいつもながらの見事な“唸り”と“目線”を披露してくれますが、今回はそれ以上に、演目それぞれに出てくる女性の“声色”の出し分けの見事さにちょっと震えました。甘酒屋に入ってくる白髪の老婆、女郎屋の遣手ばばあ、花魁椿太夫の三者三様が眼前にありありと浮かぶのです。喩えていえば、伝統芸能の世界に一人芝居が混淆したような新しい世界を見ているようでした。いずれも過去に聴いた話であるにも関わらずです。