日中の橋懸かり2025年11月16日 18:01

 外国人の日本語学習支援の一環として、先月から季節の和歌を紹介する小さな小さなWeb“講座”を始めました。毎回テーマを決め、古今和歌集を中心にその題材にふさわしい5,6首の和歌を探しては、関連する情報と一緒に紹介するというものです。どちらかと言えば理系の仕事に携わってきた人間なので、古典の専門的な知識は全く持ち合わせておらず、作歌の経験もありません。当然のことながら、自分の勉強が9割ぐらいを占めているのが実状です。
 あえていえば、退職後よく聴きにいくようになった様々な伝統芸能にも含まれる、「見立て」という日本文化の特徴的な美意識に惹かれるところがあって、その表現の多くを和歌から感じてみたいという意識が強くなりました。NPOの文化祭で行った音読や、地元の日本語教室で行った「七五調」紹介の延長線上にもあります。
 元々のきっかけは、学習支援を担当していた留学生と一緒に、様々な日本文化を知る機会があったことです。その留学生が今回、中国から参加してくれました。帰国してからも時々メールのやり取りやZoomで話したりはしていますが、この度の一政治家の“度し難い”発言で外交関係が急速に悪化する中での参加でした。この記事をアップしようとした矢先に、中国教育省が「日本留学は慎重に」というコメントを出したそうです。
 今後どうなるかは予断を許しませんが、細々と日中の交流を続けていこうと考えています。

自壊へと突き進む政治2025年11月15日 17:59

12年前の杞憂がいよいよ現実化してきたような昨今です。週末に「ばけばけ」のテーマソングを聴くたびに、日一日と「世界が悪くなる」。そして「気のせいかそうじゃない」と自覚する繰り返しが続いています。
 「(中国が)戦艦を使って、(台湾海峡への)武力の行使も伴うものであれば(日本の)存立危機事態になり得る」という首相発言は、何重にも無分別な認識から来ていると感じます。“戦艦”という時代錯誤は置くとして、国際的には他国の“国内”事情に“防衛出動”する可能性があると受け止められる答弁は、その昔、山縣有朋が提唱した“利益線”がいつのまにやら“生命線”へと変わっていった満洲と、その後の日本の歴史を彷彿させます。
 国連の“敵国”条項がいまだに残っている状況で、不戦を誓った憲法を持つこの国が、こうした情報を発信したことは、いかに政府が現実世界を見ていないのかを世界に知らしめたことになるでしょう。アメリカ、いやトランプ政権は静観します。ジャパンハンドラーがいなくなったホワイトハウス周辺でも、高市おろしの動きは出てこないはずです。彼らが日本に求めるのは、今や、どれだけ金になるかだけですから…。
 空手形の“経済安保”しかないくせに、自国の優れた技術を冤罪へ貶めるような司法がまかり通る状況は、自壊へ進んだ安倍路線の成れの果てに見えます。

ばけばけと宇宙人の目2025年11月08日 17:58

朝ドラ「ばけばけ」のタイトルバックの文字が小さいと話題になっているようです(その後、少しだけ改善)。情報メディアとしてのテレビの物理的な大きさは時代によってずいぶんと変わってきましたが、初期の画角4:3(NTSC規格)では、実験放送時代の14インチから高級家具並みの外枠を付けた20インチ以上の製品までが普通でした。その後、画角16:9(HiVision2K規格)を経て、現在は4K対応の製品も多く出回っていますが、26〜32インチは2K普及品で、量販店などで勧める標準的なサイズは40インチ以上です。なかには100インチという映写スクリーンサイズも現れています。
 そうした時代状況もあって、放送用のメディアコンテンツを創る現場では、4K対応以上のマスターモニター(至近距離での映像確認用)が31インチ、一般家庭を想定した一般視聴確認用はおそらく65インチクラスを使っているのではないかと思われます。
 当然のことですが、そうした環境で制作•放送されるコンテンツは、小さな画面での見え方に十分な配慮が行き届きません。NHKが“高解像度”を謳って番組を提供し続ける限り、ごく一般の視聴者との画面意識のギャップはなかなか埋められないような気がします。日常的にはテレビを観ていないので、よくはわかりませんが、高解像度が本当に必要な番組はほとんどないというのが実状でしょう。実際、民放各局は再来年度から4K放送をやめることにしました。
 おそらく、ネットフリックスなど有料のサブスク系動画プラットフォームは大画面での提供を前提として今後も続くのでしょうが、一方で、SNSなどの“無料”ネットメディアは、“大きな文字”を含め画面全体を使って単純な訴求力を上げる方向に進んでいますから、このままでは大きな乖離が生まれるかもしれません。今後、活字離れがますます進み、情報需要が動画に集中すればするほど、人間の視覚神経の精神的な分裂症状が現れてくるような気がします。
 たとえば、SFに出てくる大きな目の宇宙人の表象が何だか少し現実味を帯びてきたように思いました。

等身大の絵本の価値2025年10月31日 17:57

 菊名の個人出版社三輪舎より『さいしょのにんげん』という題名の絵本が出たので、過日購入して読了しました。ネット上のあちらこちらで既に評判になっているようなのですが、何がどう良いのかには、ほとんど触れられていないところが、ある意味、今の時代を表しているようにも思え、何だかもやもやとした気分が募っています。そこで、あえて個人的な感想を述べてみたいという野暮な気持ちが生まれてしまいました。以下、簡単な感想を記します。
 聞き知ったことによれば、制作にはずいぶんと長い期間をかけて、多くの推敲や検討がなされたようですが、それがほとんど感じられないように、話は坦々と、実に坦々と進んでいきます。ある男の子の一日が夢をめぐるように朝から夜まで描かれていて、そこかしこに、一見乱雑に見える様々な表象が“ごった煮”のように現れます。
 何よりこの絵本に特徴的なのは、いわゆる“メディア”が出てこないことです。朝日が差してベッドから起き上がる表紙に象徴されるように、そこにはまず、“からだ”があって、その延長線上に様々なできごとが積み上がっていきます。子供の“からだ”は、時に他の“からだ”と交差しながら、世の中を動き回るのですが、ところどころで五感の働きが描かれるのです。
 子供が人間社会という大きな現実に関わっていく様子が、遊びから買い物・家族まで、それぞれに“問い”や“対話”を通して経験していく形で書き継がれ、その果てには、人間そのものへの関心に向かうところまで広がります。
 その昔、甥っ子に贈った何冊もの本はいずれも「物語」ベースのものだったので、子育ての経験のない私にとっては、この本が子供にどう受け止められるのかは想像外です。制作に関わった人たちの育った時代が、既に私の子供時代とは大きく変わっているだけになおさらです。ただ、この、いかにもそれらしい装丁の絵本を一言で言い表すとしたら、「等身大」という言葉が最もふさわしいと考えています。それが難しい時代になっていることの裏返しなのかもしれません。

見立てと七五調2025年10月24日 17:55

日本語を学ぶ外国人に和歌を紹介する機会をオンラインで作りたいと思い始めたのは、今から5年ぐらい前のことです。ちょうど、コロナ禍の最中でした。論文チェックから、日本語の幅広いレッスンを経て、様々な文化行事にも一緒に参加した留学生と、歌枕で知られる駒込の六義園を訪ねてみたいと考えていた頃です。
 その後、能楽師のWeb講座を聴いたり、和歌の関連本を読んだりしているうちに、「見立て」や「掛け詞」のような豊饒な言語文化に加え、失われつつある四季の感覚、今に繋がる伝統芸能や、関連する多くのサブカルチャーなどを気にかけるようになりました。
 専門的な勉強などしたこともない一介のボランティアだからこそ、「日本文化のごった煮」のような紹介ができるのではないかと思いながらも、まずは、その前段として「七五調」と呼ばれる短詩型の由来を調べ始めました。それは、『声に出して読む日本語』をブックオフで買いあさっては担当留学生一人一人に進呈してきたことの延長線上でもあります。
 その後、「日本語のリズム」に関するワークショップを二度開き、その過程で、今度はいろいろな伝統芸能を聴き続けてきた経験が繋がります。型や、調子や、障りなど、芸能たらしめるための様々な仕掛けは、日本語という母語だからこそ生まれてきたものであって、今でも多種の語り芸を日常的に聴く事ができるという得難い環境もまた、この国ならではの貴重な宝と言って差し支えないでしょう。
 手術後の合併症がすこしずつ良化し、古稀を迎えたこの時期が、この国の不思議な文化の一端を“帰国”後も覚えていて欲しいという以前からの目論見を実現する、最後のタイミングのように思えました。それだけ、強い危機感を覚えています。
 彼女ら日本語学習者にとっては、何より、そうした歴史文化遺産に触れる事もなく、ただ威張りたいだけの日本人と接するような機会ばかりが増える可能性が高くなりました。本当の意味での「自虐」が蔓延し、自壊が進むこの国で、公金を私(わたくし)する為政者と、幇間のように支えるSNSやメディアが跋扈しています。
 そうした喧騒から、一時でも離れてみる機会を作れたら本望です。