運河のライブ2023年11月13日 22:11

11月の夏日が過ぎて連日の雨模様の中、隙間を縫うように横浜の日の出桟橋に出かけました。東京の日の出桟橋は東京湾に面していて、隅田川沿いに浅草へ向かったり、お台場・ビッグサイトなどを回る乗船人数100名前後のクルーズ船の発着地ですが、横浜のそれは大岡川から中村川周辺を回る30名定員の小型船の係留地です。京急日ノ出町駅に近い運河の脇に造られた小さな桟橋から出発し、昔は入海(いりうみ)だった広大な埋め立て部分の(吉田新田)の外周にあたる二本の川を巡るクルーズに搭乗しました。航行する「ベネチア号」は春には大岡川の桜見物で連日混み合うようですが、今回の企画は「サウンドクルーズ」という開催日限定のプログラムで、過日鑑賞した横浜ボートシアターの劇伴を今度はボートに乗りながら目の前で聴くという体験です。
 横浜日の出桟橋から出た船は大岡川を西へ上り、蒔田公園の角で、左折して中村川を下ります。途中、堀割川への分岐を右に眺めながら、横浜港方面へ向かい、石川町駅の直下を過ぎて元町と中華街を結ぶ前田橋で折り返します。この前田橋の一つ手前、小さな“市場通り橋”の南詰めが昔ボートシアターの艀(はしけ)が係留されていた場所です。40年近く前のことで記憶も薄れていますが、言われてみれば、確かにそのあたりだったように覚えています。
 演奏は竹マリンバ・フライパンという民族音楽に出てくるような劇団オリジナルの楽器のほか、ギター・シンセサイザーから様々な小物も交え、演目「新版 小栗判官・照手姫」を中心に、石原吉郎の詩に作曲した物や、旗揚げ公演「やし酒のみ」の一曲まで、1時間を超えるクルーズの間で8曲ほども聴くことができました。元は入海だった二つの運河は潮の満ち引きがあって、時に橋の下で頭をぶつけそうにもなるようですが、その狭い空間に反響する音楽は特別なものに聞こえます。短い航行時間の間に、陽が差したり寒くなってきたりと変化に富んだ航路で、ベテラン船長の見事な操舵と飽きない解説もまた見事でした。
 運河の通り道は、その昔高校時代に通学に使った市電76系統の経路にも近く、ところどころで往時を思い浮かべることができるのも魅力の一つです。また、きっと訪ねる機会があるでしょう。
*ちなみに、過日遊行寺で観た横浜ボートシアターの『新版 小栗判官・照手姫』は、11月23~25日にシアター代官山でも上演されます。おすすめです。

仮面の踊り念仏2023年11月04日 22:09

小夏日和の三連休初日に東海道線で藤沢まで出かけました。訪ねたのは旧街道に面した時宗総本山遊行寺です。「踊り念仏」で有名な一遍上人ゆかりの寺はその奥に長生院という支院があり、有名な説経節「小栗判官」に出てくる照手が草庵を結んだと言われています。
 今回、その縁もあってのことなのでしょう。敷地の中央にある木造建築の本堂で、横浜ボートシアターによる仮面劇『新版小栗判官・照手姫』が上演されました。劇団の前代表で三年前に亡くなった遠藤啄郎氏による脚本はこの劇団の代表作でもあり、新たな演出を加えた追悼公演となっています。実は、41年前の1982年5月、ボートシアターの名の通り横浜の中村川に浮かぶ船劇場で上演されたこの演目の初演を私は観ています。その前年川崎で開かれたAALA文化会議の関連イベントとして上演された劇団の旗揚げ公演『やし酒のみ』に続く第2回は、船上という新たな空間で開かれたのです。その頃、伝統芸能のことはほとんど知らなかったのですが、たまたま出会ってしまった仮面劇の世界によって古典演劇への関心を拡げる機会になりました。
 “新版”に特徴的だったのは身体全体を使った表現が増えているように見えたことです。元々舞踏会の仮面のように口元しか出ないので、目が隠れて顔の表情による演技は半減します。それだけに手足を使った踊りの要素を全面に出しながら、民族楽器の演奏とも相俟った躍動的な舞台になるのですが、それが一段と強調されていたように思います。もちろん、寺の本堂は客席も平場なので、同じ平面上で動きが無いと表現が平板に見えてしまうのかもしれません。芝居の内容は“説経節”だけに地獄の閻魔様から藤沢の上人、関寺、熊野権現まで仏教説話の要素が強くありますが、中でも餓鬼阿弥の車を引くために集まった“善男善女”のイメージは踊り念仏に連なる人々のようにも見えました。その意味で、遊行寺本堂という舞台は最も適しているのでしょう。

街から本屋が消える2023年11月02日 22:04

もうかれこれ2週間ほど前のこと、最寄りの駅前の本屋が閉店しました。港北区では日吉・綱島・大倉山と3駅並んであった「天一書房」です。このうち日吉は丸善・ジュンク堂に変わり、大倉山は新規に営業を引き継ぐところがなく、綱島だけが残っています。新横浜駅ビルの三省堂も先々月に閉店し、身近なところから次々書店が消えてゆく現実に少し呆然としています。
 「〇anada」やら「〇iLL」やらのヘイト系雑誌が平積みされ始めた頃から、駅前の店ではあまり買わなくなっていたのですが、ちょっとしたムックを購入したり、新書・文庫の新刊を眺めたりすることは続いていたので、いざ無くなってみるとやはり不便です。閉店の一因に、件のヘイト雑誌なども買うような高齢者がコロナ禍で減ったこともあったようで、これはもう「何をか言わんや」です。
 さいわい、コロナ禍が始まった頃から妙蓮寺の「石堂書店」に通うようになっていたので、個人的にはさほど大きなダメージにはなっていませんが、やはり住む街から本屋が無くなるのは寂しいものだと勝手なことを考えたりもします。
 Amazonで買うことも稀にありますが、やはり実店舗で装丁を眺めたり表紙をめくって冒頭を読みながら選ぶ時間は至福です。時に、それで満足して買ったまま積ん読し、収拾がつかなくなっている実態も一方にあるのですが…^^;
 書店のない街に生まれ育ったので、幼い頃は雑誌を買いに少し遠出をしたりもしました。成人前に一人住まいした中野区の書店にはあまり記憶がないのですが、元住吉の「住吉書房」や武蔵新城の「早川書店」、菊名の「ポラーノ書林」など、印象に残っている街の本屋はいくつもあります。別用で訪ねたついでによった書店も数多くありました。国立の「増田書店」、西荻の「今野書店」、荻窪の「本屋Title」、下北沢の「本屋B&B」などなど…。それぞれに個性のある本屋を巡るのは楽しいものです。あちらこちらに新しい小さな本屋も生まれている一方、古くから営業している街の本屋がいつまで生き残れるのか、読書の衰退以上にとても大きな問題を孕んでいるように思えます。

まつろわない語り2023年10月30日 22:02

祭文語りを聴くため、4年ぶりに国立(くにたち)のギャラリービブリオを訪ねました。近代に失われた豊穣な「語り芸」の記憶を今に伝える貴重な“声”の復活に取り組む「旅するカタリ」の公演です。20人弱しか入れない小さな民家の一室は、東北の瞽女(ごぜ)宿を思わせます。
 演目は『熊野之御本地』。熊野権現の本地(ほんじ)にあたる天竺(てんじく)のマガダ国「善財王」とその千人目の后「五衰殿」の物語。千人目にして王の子を受胎した后に向けられた嫉妬(しっと)は、后の首を刎(は)ねよという偽の宣旨に化け、五衰殿は山奥の岩窟で首を切られますが、その乳首からは母乳が絶えることなく溢れ出し、王子は聖人に見つけられるまで生き延びます。その後、王子と対面した善財王は自らの王国を去って熊野へ垂迹するという話につながります。
 “迦陵頻伽”(かりょうびんが)の声と一緒に、はるか遠く天竺からやってきた善財王一行の姿には、『かぐや姫の物語』で姫を迎えに来た月の使者のイメージが浮かびます。古代の“歌”の豊穣な世界をしばし妄想するのです。
 後半は「百年芸能祭」と称して全国に展開している鎮魂と予祝の祭りの一環でした。1923年の関東大震災から100年。当時、警察の一部も含め「朝鮮人が放火している」などの流言飛語が拡がり、それを盲信し暴徒化した自警団などにより多数の朝鮮人(中国人・日本人も含まれます)が殺害されました。一方で殺人犯のほとんどは“情状酌量”や皇太子結婚の恩赦などで罪に問われないまま釈放されます。殺された人々への慰霊はこの10年のうちに段々と無視されるようになり、政府内にはその記録が無いとする官房長官の発言も出るようになりました。そうした中で始まった100年目の慰霊から次の100年を予祝する祈りの取り組みが行われています。
 今回は、沖縄で歌われた『標準語行進曲(?)』から始まり、金時鐘の「打ってやる」、竹内浩三の「骨のうたう」、中川五郎の「腰まで泥まみれ」。そしてボブ・マーリーの名曲「No Woman, No Cry」に準じた芸能祭の主題歌「ノーヒューマン・ノークライ」。
 半世紀前なら、路上はもちろん、唄声喫茶や労働組合の集会などでさえ聞くことができたかもしれない“地べた”の歌たちも、今やこうして細かく点在する小さな集まりでしか触れることができないほどに関心が失われつつあるのが現状で、細々とであれ誰かが続けなければ朽ち果ててしまうという危機感が強くあります。J-POPに代表されるような“商品価値”を背負った歌たちに深く飼い馴らされてしまった私たちが、世に“抗う”声を取り戻すことははたしてできるのでしょうか。その試金石のようなライブでした。
 関連した記事を4年前の11月に書きました。11月5日付けが西荻忘日舎、同29日付け(右上の次>>ボタンで表示)が国立ビブリオです。以下のURLからたどれます。
 http://amiyaki.asablo.jp/blog/2019/11/

横浜港の非日常2023年10月29日 22:01

過日、地元の交流ラウンジの企画で、日本語学習者と一緒に横浜をめぐるツアーに参加しました。ルートは、元町中華街駅−>アメリカ山公園−>港の見える丘公園−>山手本通り−>イタリア山庭園−>元町->市バス21系統−>日本大通り駅−>象の鼻−>港内クルーズ乗船->象の鼻というもの。山手の西洋館は以前に韓国の大学生グループを案内したこともあるので、担当の学習者と本通りを急ぎ足で歩きながらも、点在する西洋館や教会・墓地などの説明ができました。港内クルーズには初めて乗ったのですが、大桟橋から山下埠頭を見ながらベイ・ブリッジを少し越えたところで折り返し、大黒埠頭から瑞穂埠頭、みなとみらい地区、新港埠頭などを、それぞれ海から眺める機会になりました。
 米軍のノース・ドックには曳航ソナーを備えた音響測定鑑、新港埠頭には海上保安庁第三管区の巡視船なども確認できました。この日、大桟橋には大型客船が寄港していませんでしたが、新港埠頭には「えとぴりか」と呼ばれる北方(領土)四島との交流事業に使われる船舶が入港していました。観光地の客船の近くに、当たり前のように軍事・外交に関わる船舶が停泊していて、“有事”という名の下に出港していくのでしょう。地上における災害対応車レッド・サラマンダーのように、海上における本格的な災害救助船のようなものを造る気は残念ながらあまりないようですね。
 海上は風が強いので、防風用に軽い上着を用意するよう事前にLINEでアドバイスしたのも正解でした。屋上のデッキは揺れも大きく、10年ぶりの乗船は口数も少し減るような乗り心地です。それでも、日常から少しだけ離れる感覚を思い出し、一緒に行きましょうと誘ってくれた学習者に感謝しています。