諧謔が表す精神性 ― 2025年12月18日 18:09
大河ドラマ「べらぼう」が終わりました。江戸の出版文化を牽引した一市井人の生涯と、それを取り巻く創作者たち、陰で支えた職人の世界や、吉原遊廓との関わりなどが、一年を通して描かれ続けたことに大いなる賛意を覚えます。今朝の東京新聞芸能欄によれば、大河ドラマの歴代視聴率で二番目に低かったとのことですが、たとえば、唐来参和などという人名に触れることができたのは、小沢昭一さんの一人芝居以来のことです。数々の狂歌の紹介も大変面白く聴くことができましたし、社会批評的な黄表紙の隆盛は江戸庶民の精神性の高さを感じさせるものでもあります。一方で、そうした魅力あふれた題材に多くの関心が集まらないことこそが、なんともつまらない現在を象徴しているのかもしれません。ちなみに、私個人のことで言えば、三番目に低かった「光る君へ」を通じて和歌への関心がさらに高まったことも事実です。
「日本人ファースト」などという愚劣なメッセージの陰で、これら二作品が残したことは、特徴ある日本の習合文化の一端を日本人自身に再確認してもらうようなものでもあったのでしょう。それは、「べらぼうめ!」と快哉を叫ぶようにです。
「日本人ファースト」などという愚劣なメッセージの陰で、これら二作品が残したことは、特徴ある日本の習合文化の一端を日本人自身に再確認してもらうようなものでもあったのでしょう。それは、「べらぼうめ!」と快哉を叫ぶようにです。